レースたちが語るあれこれ

前くみ ご夫婦として、お互いどんなレーサーだと思っていますか?

竹田 近くで見過ぎているので、あまりレーサーとして見れないところもあるんですけど、スター性はあるのかなって思いますね。

前くみ 桃佳ちゃんから見た竹田さんはどんなレーサー?

中村 プラスを伸ばそうとするというよりは、バランスよくすべての要素を上げていこうとするレーサーだと思います。

前くみ プライベートはどうですか?

中村 仕事以外だと彼は冒険好きですよ。例えば喫茶店に行くと、私は絶対に同じメニューしか頼まないんですよ。だけど彼はそうじゃない。ここ大丈夫? というようなボロボロのお店を見つけて、「あそこに行こう!」なんて言い出すし。

竹田 知らない人なら絶対に行かないような店にも平気で行けます。

中村 私はそういうところに行って「ほら、やっぱり…」みたいな後悔をしたくないんですよ。

竹田 いやでも、これには理由があって、ボロいってことは昔からあるってことですよね。それには残っている理由があるんですよ。メッチャうまいとか…。その理由を知りたくなっちゃうんです。もちろん、もう二度と行かんっていう店もありましたけどね(笑)。

前くみ トークテーマ「快感レース」。吉田クンはめっちゃ気持ちよかったレースがありましたか?

吉田 あります、あります。正月の地元戦(常滑)で、僕は準優3号艇。1号艇が磯部誠さんだったんですけど、きれいにまくり差しが入って、磯部さんをギャフンといわせたレースが気持ちよかったですね。僕はまくり差しが一番気持ちいいと思っています。

前くみ 栗城クンはやっぱりデビュー初優勝した平和島の優勝戦でしょ?

栗城 そうですね、1周2マークで外マイしたんですけど、あれは練習の成果が出ました。

前くみ オー! その前に3カドっていうのも快感じゃなかった?

栗城 ペラ調整を重くしていたので、助走距離がないとスピードに乗らない状況だったので引くしかなくて…。

吉田 守りの3カドっすね。攻めじゃない。

栗城 本当はあと100メートルぐらい引きたかったです。

前くみ ニコニコ話を聞いていた前田クンは?

前田篤 僕はインから逃げられたときはどんなレースでも快感というか、嬉しいです。インは好きなんですけど、苦手なコースでもあるので、失敗せずに逃げられたらうれしいです。

体重を増やすことは本当に苦痛だった。レースをしてたら、どんどん体重が減っていくからね。宿舎でカップラーメンを食べてたら、テラッチ(寺田千恵)に「今村さん、そんなのばかり食べてちゃダメ!」って怒られたことがありました(笑)。それでおむすびを握ってくれて、かたさがちょうどよかったのを覚えています。
思い出のレースは、ダービーって言わざるを得ないですね。(引退)会見で言ってしまいましたから(笑)。僕はずっとダービーが最高峰のレースだと思ってます。僕からしたらグランプリっていうのは年に1回のお祭り。本当の日本一を決めるのは、やっぱりダービーだと思う。

近況絶好調? それは生まれてからうまくいかなかったことの反動が今年(20年)に来たのかなって感じです(笑)。それまでの人生は人よりもできないのが当たり前でした。だから逆に、できなくてもくじけずに続けられたんだと思います。人が諦めてしまうようなことでも何年も続けて挑戦してきて、それが今につながっているのかなと。
ひとつ変わったと思うのは、昔は記念だと「周りがすごいから」と自分を卑下するところがあったんですけど、それはなくなってきたかもしれません。昔の自分は過去を後悔し、先に不安を感じ、あまり今を意識できていなかったんです。それをやめて、今を考えるようになりました。

伸びだけを求めた結果、成績が上がっているのかなと思います。スタートの発順は早くないですよね。もともと全速で行くことを重視しているのでタイミングは二の次です。レバー操作で合わせてくるようなスタートをする人が多いので、今のペラなら内がそうしてくれればまくれます。実際、自分がコンマ20でもまくったりしてますからね。今の調整は伸びだけじゃなくて、行き足もいいので回りづらいこともないですよ。
けっこう、自分の内にはいたくないって言われることも増えてきましたね。それもあって進入で動きやすくなりました。自分としては2〜4コースが今のペラの力を一番発揮できると思っています。 今後?まくることしか考えていません(笑)。95%まくるつもりでいます。

池永太さんが師匠なんですけど、師匠や先輩の川上剛さんたちから、「プロペラを抱いて寝ろ」ってデビュー当初から言われてたんです。寝ても覚めてもプロペラのことを考えろということなんですけど、とにかく叩いてきました。ぐっちゃぐちゃになっても、とにかく叩く。そこだけは負けないようにやってきたつもりです。
課題はたくさんあります。最近、レース全体の流れを考えるようになったんです。それは西山貴浩さんに「次のターンマークだけじゃなくて、次の次まで見て走れ」って言われたことがきっかけなんですけど、最初は「どういうこと?」って頭がパニックになりました。少しずつ理解して、視野が広がってきたのかなと思います。

今後の目標を成績面で上げるなら賞金3億円と勝率9点。あとは年間勝率ナンバーワンを限りなく続けることですね。3億円って今までも誰も達成してないじゃないですか。だからそれだけハードルは高いと思いますよ。到底無理だろうな〜って。でも僕の昨年(20年)が2億6000万円。数字だけ見ると不可能っていう感じじゃないでしょ。勝率9点も昨年は惜しいところまでいけた。この時代に勝率9点を残せば伝説になるでしょ?誰もやったことがないこと、無理と思えることを実現させたいですね。
僕が目指しているのは、エンターテインメントとしてのボートレースです。勝ち負けはもちろんですが、「ボートってすごい」「こんなレーサーがいるんだ」と、1人でも多くの人に思ってもらいたいんです。

夫婦同日優勝、あれはビックリしましたね。何となく結果を見ながら、頑張ってるなとは思っていましたが、細かくはみていなかったんですよ。同日に優勝できたこと自体珍しいとは思うんですけど、上がりタイムとスタートタイミングも一緒で…。そっちの方がビックリしました(笑)。
あの日は仲のいい和田兼輔さんも優勝したんですが、準優の結果が3人とも上がりタイムとスタートタイミングが一緒で…。ちょっと気持ち悪いな、と(笑)。
順番的には和田さんがモーニングで、妻(鎌倉涼)がデイレース、自分はナイターでしたが、二人の優勝は知らなかったんです。
翌日、3人でリモート飲み会をしたんですよ。妻とは家に一緒にいるのにわざわざ別のスマホを使って(笑)。嬉しかったし、いい思い出になりました。

以前は迷子になってましたね。行きたいところには行けないし、点数も取れないしで、おかしくなってました。それが吹っ切れて良くなったのかもしれないです。そのきっかけは車をぶつけたこと…。その頃、怖い夢ばかり見てたんですよ。それを知り合いの車の修理屋さんに話したら、「枕を替えてみな」って言われて、宿舎に持って行っていた枕をやめたんです。今は宿舎の枕を使っているんですけど、ちゃんと寝れるようになったし、夢そのものはよく見ますが、怖い夢を見なくなりました。それを機に流れがガラリと変わりました。
成績だけを見ると自分じゃないみたい、人の成績みたいですよね(笑)。周りからA1級を目指せとか言われることは確かに多いです。けど、自分では全然意識していません。だって私がA1級なんて似合わないので(笑)。運だけはA1級かもしれないですが、旋回力とか調整力とかはまだB級だから、なれてもすぐに落ちちゃうんだったら意味がないと思うので、ちゃんと力をつけてから上がりたいです。

レーサーをクビになる4期通算の勝負駆け期間中も、やる気だけはあったと胸を張って言えるんですけど、頑張り方を間違えていましたね。点数は取れないし、何により事故点でレースができない状況。そのうち事故点が消化されて、ようやく気持ちに余裕ができてから上向きましたね。そして乙津康志さんに師匠についてもらって、レースのことをイチからというより、マイナスから教えてもらって、やっとレースが楽しくなりました。
1期目の大借金がなくなったので、勝率的にはだいぶ楽になりました。これからは自分のやりたい調整ができると思います。そのためにいっぱい練習します。私、練習が好きなんです。センスがないので、量でカバーします。

元々、展示タイムはいい方だったと思うけど、一段と良いタイムも出ています。だからこそお客さんも買いたくなるでしょうし…。そういう期待にもこたえられるようにしていきたいです。
この年で強くなっている理由はなにか?強くなっているかどうかわからないけど、粘り強くなったというか、あきらめない気持ちが強くなったというのはもしかしたらあるかもしれないです。まあ、肉体的には衰えてくるのは確かですよね。筋力もそうだし、老眼も何となくわかってきたし(苦笑)。
エイちゃん(白井英治)か僕のどちらかが先にグランプリを獲るつもりでいますよ。けっこう瀬戸際だと思うので、猶予はそんなにないつもりでやります。

QC優勝戦1号艇はメチャクチャ緊張しましたよ(苦笑)。節間毎日緊張はしていましたけど、軽い緊張感から吐きそうなくらいの緊張に変わりました。もうクラクラしてました。宿舎に戻ってもお風呂の中でも水死体のように浮いてて…(笑)。だけど緊張しすぎて疲れてしまったのか夜には爆睡できました。すると朝には緊張もなくなってたんですけど、新聞を見たら優勝戦で遠藤(エミ)さんが進入で動くというコメントが載っていて…、「エ〜」って(笑)。
そうそう、ゴールした後ガッツポーズをしようと両手を離したら、レバーもハンドルも入っていたので転けそうになって…。小野ちゃんにメッチャ見られてました。あれはちょっと恥ずかしかったですね(苦笑)。

出産を経て一番変わったのは気持ちの部分ですね。以前は自分や家族のためでしたが、今は子供…、自分にとって一番大きな存在ができました。この子たちのために頑張らないと、と走っているので、気持ちは以前にも増して強くなったんじゃないかと思います。
ユーチューブを始めたことも大きく変わったことですね。SNSを使うことで自分をアピールしたり、ボートレースをアピールすることができるんじゃないかと、兄に勧められて始めました。ユーチューブも兄とふたりでやっているんですよ。今はまだ大変なことが多くて、日々試行錯誤しながらやってる感じですけど。
私にとってはあくまでレースで結果を残すことが一番。SNSとの相乗効果もあると思っています。

初優勝の水神祭は12月だったんですけど、めちゃくちゃ寒かったです。優勝したらたくさん連絡がきて、こんなに見てくれてるんだって改めて感じました。僕がレーサーになったことを知ってるとは思わなかった同級生から連絡が来たりとか、驚きました。
104期のやまと(養成所)チャンプという看板が、最初の頃は本当に重荷でした。こんなに苦しむんだったら、優勝しない方がよかったって思ったことまでありました。そのうち同期の中田竜太や松田大志郎、岡村慶太たちが活躍するようになって、ちょっと離れちゃった感覚があったんですね。その時に自分は自分のペースでがんばろうって思うようになって。自分も!って思ってた時は、焦って失敗することの方が多かったですから。