山崎智也
山崎智也

2012年(平成24年)持ちペラ制度が廃止!山崎智也が引退を表明した妻に捧ぐ初のグランプリ王者に

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選手持ちのペラから貸出制へ

この年の4月から、選手にとっては大変革といえるルール改定が実施された。選手持ちのプロペラが廃止となり、レース場からエンジンとセットで貸し出されることになったのだ。
この影響はとてつもなく大きかった。選手の経済的・肉体的な負担が大きかった点は解消された一方で、多くのペラグループが解散し、選手間の人間関係が希薄になったり、ペラを新人が教われずに苦戦が目立つ傾向も見られた。また合わせて、モーターの全国統一(ヤマト321型)が、翌年3月頃までの間に進んだ。

女子戦線はますます拡大方向へ

女子並びに新鋭戦線の日程変更など、現在のプレミアムGIの日程に大幅な変更が加えられた。
まず女子王座決定戦(現レディースチャンピオン)は、例年3月上旬に行われていたが、それが8月上旬に移行となった。そのためこの年は3月に多摩川(田口節子が連覇)、8月に若松(山川美由紀がV3)と2回行われた。新鋭王座決定戦(ヤングダービーの前身)も1月から9月開催となり、女子王座同様に、この年は2回行われた。
さらに最大の変更点は、12月に「賞金女王決定戦」(現クイーンズクライマックス)が新設されたこと。第1回は大村で開催されたが、直前のSGチャレンジカップを上回る売上を記録して大盛況の中、三浦永理が初代の女王に輝いた。そしてこの1戦で、女子戦線を牽引し、SGでも活躍を見せてきた横西奏恵が引退した。

山崎智也が初の賞金王に輝く

SG戦線は、井口佳典が浜名湖・笹川賞(現オールスター)と尼崎・オーシャンカップを勝って、10月にはひとり1億円を突破。それを太田和美瓜生正義といった常連が追走するという流れに。その一方で、戸田・総理大臣杯(現クラシック)を馬袋義則、児島・チャレンジカップを平尾崇典と、ともに40代に入ってSG初優勝という遅咲きの戦士も賞金上位に名を連ねた。
しかし最後の大一番、住之江・賞金王決定戦(現グランプリ)では、山崎智也が賞金ランク最下位(当時は12人)から大逆転を演じた。それまでは住之江実績が芳しくなく、01年の賞金王ではFに散ったこともある。しかし今回は、4コースからのまくり差しを鮮やかに決めた。優勝の記者会見には、引退を表明したばかりの妻・横西奏恵も同席し、初の賞金王を祝っていた。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。