重野哲之
重野哲之

2011年(平成23年)東日本大震災による開催自粛、売上どん底の低迷期

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3月11日以降末日まで開催自粛

3月11日の午後に東北地方の太平洋沖で強い地震と、それに伴う津波が発生。東北から関東にかけて、原発の事故をはじめ大きな被害を受けた。
ボートレース業界でもいくつかの施設で障害が発生。さらにこの後、3月末まで全開催を自粛した。そのため、3月下旬に予定されていたSGの戸田・総理大臣杯(現クラシック)も中止となった。
そしてこの開催自粛は、売上下降に苦しんでいた業界にとって追い打ちとなった。91年度には2兆2137億円を記録した売上は、バブル崩壊以後下降が続き、この年度は8434億円まで落ち込んだ。2010年度がまさに“底”だったのである。

SGの優勝賞金も減額

年明けの1月31日にSGやPGIの賞金見直しが発表された。これまで賞金王決定戦(現・グランプリ)以外のSGは優勝賞金4000万円で同額だったが、タイトルによって3500万円と2500万円に減額となった。
そんな厳しい状況の中、唯一好調だったのが女子戦。翌12年の年末に「賞金女王決定戦」(現クイーンズクライマックス)の新設が決定した。
一般戦ではシード番組が増加。『わかりやすい・予想しやすい番組の提供』という狙いで、西のレース場から徐々に東の場へも拡大の動きを見せた。

笹川賞で横西奏恵が大奮戦!

総理杯が中止になったため、この年最初のSGは5月の尼崎・笹川賞(現オールスター)となった。山崎智也と横西奏恵の夫婦ドリームが実現し、両者揃って準優へ。さらに横西は、女子選手として初めての2度目のSG優出も果たした。
そしてこの年の頂点は、池田浩二瓜生正義が激しく争った。笹川賞と平和島・全日本選手権(現ダービー)は池田、児島・グランドチャンピオンと福岡・モーターボート記念(現メモリアル)は瓜生と、SGを2冠ずつ制して譲らず年末へ。
7月のオーシャンカップは佐々木康幸が7戦6勝で初SGを獲得。そして8月上旬に総理杯の代替SGが「東日本復興支援競走」として行われ、重野哲之がSG初優勝を飾った。
まさに最終決戦となった住之江・賞金王決定戦には、池田と瓜生両者も優出を果たしたが、池田が逃げ切って初の賞金王へ。もちろん最優秀選手にも選ばれた。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。