2010年(平成22年)「競艇」から「BOAT RACE」へ呼称変更!その理由とは?

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競艇場もボートレース場へ

ボートレースは、その開始の頃から「競艇」をはじめ、「ボート」、「ボートレース」、「モーターボート競走」など、様々に呼ばれていた。それが1997年度から「競艇」に統一されてきたが、この2010年度から「BOAT RACE」(ボートレース)と呼称することになった。そのひとつの理由としては「世界に通用する呼び方にしよう」という提案もあったと聞く。
それに伴い、各ボートレース場も「○○競艇場」から「BOAT RACE○○」へと看板や出走表でも全面刷新。選手養成所も「やまと競艇学校」から「やまと学校」へ名称変更した。なお、SGの「競艇王チャレンジカップ」も「チャレンジカップ」となった。

やまと卒業生から初のSG覇者が誕生

2001年に竣工し、88期の一部から訓練を始めた「やまと学校」(現ボートレーサー養成所)。施設は申し分なかったが、実戦では卒業生の苦戦が目立っていた。
しかしながら、この年、ようやく同校卒業生初のSG覇者が誕生した。平和島・総理大臣杯(現クラシック)を制したのは91期生の山口剛だった。続く浜名湖・笹川賞(現オールスター)でも94期の岡崎恭裕が23歳の若さで優勝、さらに丸亀・オーシャンカップで90期の石野貴之が制し、やまと世代が一気に花開いた。
大村・グランドチャンピオンは湯川浩司が制して、グラチャン3Vを達成。自ら「湿気王子」とネーミングして話題となった。蒲郡・モーターボート記念(現・メモリアル)では50歳を目前にした今村豊、桐生・全日本選手権(現ダービー)は瓜生正義、唐津・チャレンジカップを今垣光太郎と銘柄級が制し、ベテランと若手が拮抗した状況で住之江・賞金王決定戦(現グランプリ)へ。
優勝戦で1号艇をゲットしたのが濱野谷憲吾。初の金ヘル獲得かと注目されたが、痛恨のスタートドカ遅れ…。2コースから中島孝平が難なくまくって、初の賞金王とMVPを獲得した。また、この年の最優秀新人は、2年連続で女子選手(平高奈菜)が獲得。同じ100期の鎌倉涼は、平成生まれで初のA級戦士になり、若干20歳で早くもレディースチャンピオンで優出。若手女子の活発さが目立った。

全国24場全てが減音モーターへ

この年の、選手にとって最も大きな出来事は、エンジンの減音化が一気に進んだことだろう。それまでの数年間で急速に減音化が進んでいたが、9月に宮島で減音機を導入したことにより、全場減音モーターとなった。このことは、実はファンにとっても大きな変更であり、予想の上でも重大なポイントとなっていた。
また、7月9日にボート界初のモーニング競走が芦屋にて開催された。当初は「ナイター時代にそんな朝早くからのレースなんて…」という声もあったが、その懸念をよそに好調なスタートを切った。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。