松井繁
松井繁

2009年(平成21年)松井繁が3回目のグランプリ制覇!"モンスター"野中和夫が引退

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30代前半選手の猛攻をしのぐ

30代前半選手の猛攻をしのぐ この年のトップ戦線はもっぱら30代戦士の争いが顕著となった。登番でいえば、3000番台前半VS後半という図式でもあった。
まず前半の総理大臣杯(現・クラシック)を池田浩二、笹川賞(現・オールスター)を瓜生正義、さらにオーシャンカップで新スタート王・菊地孝平が若松ナイターで快勝。さらにモーターボート記念(現・メモリアル)で池田が2つ目のV。
一方、この年30代最後を迎える今垣光太郎がグランドチャンピオンを制し、同い年の松井繁が待望の全日本選手権(現・ダービー)初Ⅴで追い上げてきた。常滑で行われたチャレンジカップでは、原田幸哉→池田の地元ワンツー。池田が賞金ランキングトップで賞金王決定戦(現・グランプリ)へ臨んだ。
そして注目の賞金王決定戦では、40歳を迎えた松井がトップスタートを決め、3コースからの鮮やかな差しを決めて快勝。このレースで史上タイの3回目の優勝を飾った。同時に賞金王も確定させて、前年に続く5回目の最優秀選手に選出。これで表彰制度が始まって以降、トップの彦坂郁雄に並んだ。

史上初!女子選手が最優秀新人に選ばれる

SGの上位が30代戦士にほぼ独占されたこの年、20代で健闘したのは笠原亮湯川浩司(ともにSG2優出)ぐらいだった。さらにその次の世代と期待される新鋭王座決定戦(ヤングダービーの前身)の顔ぶれもやや低調で、この年の優勝戦で後にSG覇者に出世したのは新田雄史だけだ。01年に移転したやまと競艇学校(現・ボートレーサー養成所)卒業生の実戦での苦戦が目立ち、登録6年未満という新鋭王座決定戦も「曲がり角を迎えた…」感が否めなかった。
その一方で、徐々にレベルアップが注目されてきたのが女子の若手選手たち。この年、史上初めて最優秀新人に女子の平山智加が選ばれた。

“モンスター"が水面を去る

長きにわたって艇界を彩ってきた、超大物選手が静かに引退した。"モンスター"の愛称で親しまれた野中和夫だ。05年に選手会長に就任、4年間務めた後、退任して選手登録も消除。12月に住之江でラストランを行って最後の雄姿を見せてくれた。
まだSGが少なかった時代に17回の史上最多優勝、SG3連覇、76年後期の勝率9.53、笹川賞(現・オールスター)は第1回を含む優勝6回、年間賞金王7回など史上1位の記録を山のように築いた。さらに「ワシは『勝負師』ではなく『勝ち師』や」と語り、1着にこだわる強烈なキャラクターがファンを興奮させた。また選手会長としても、頻繁にレースの現場へ足を運び、ファンの前に出る機会も多かった。艇界に残した足跡はとてつもなく大きい。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。