植木通彦
植木通彦

2007年(平成19年)衝撃!植木通彦が電撃引退発表、ボートレース界に激震

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"記憶に残る選手"植木通彦

この年のSG第一弾・総理大臣杯(現・クラシック)では、1号艇の植木通彦がフライング欠場、地元の濱野谷憲吾が優勝を果たした。
このフライングで植木は1年間のSG出走権を失ったが、7月に突然の引退を発表した。会見ではこの総理杯でのFが直接の理由ではなく、「デビュー後間もない桐生での大事故の後に『命がけで20年間走ろう』と決心して、その20年が来たので…」と語った。
"艇王"と呼ばれた植木の残した戦績はもちろん超一流の数字だ。ただ史上1位といえる記録は、年間獲得賞金(2002年の2億8418万4000円はボート界のみならず当時の公営競技最高記録)ぐらいである。しかしモンキーターンの衝撃と、1995年に中道善博との賞金王決定戦(現・グランプリ)をはじめとする名勝負の数々は、ファンを魅了し続けた。まさに"記憶に残る選手"だった。
【表】植木通彦がまさかのフライング欠場…/2007年 総理大臣杯結果

賞金王は初めて福岡で開催

総理大臣杯(現・クラシック)以降のSGは、笹川賞(現・オールスター)で瓜生正義、グランドチャンピオンで湯川浩司(同年のチャレンジカップも制覇)、全日本選手権(現・ダービー)で高橋勲と、SG初制覇が続出。また前年のダービー王・魚谷智之がオーシャンカップ→モーターボート記念(現・メモリアル)と連覇した。
そして迎えた年末の賞金王決定戦(現・グランプリ)は、第22回にして初めて福岡で開催。それまで惜敗の多かった吉川元浩が、SG初Vを飾った。
なお、年間の最多賞金獲得選手は魚谷で、同じく最優秀選手の栄冠も魚谷が獲得した。
また、女子戦線では、これまで女子として初めてのSG優出などキャリア豊かな寺田千恵が初めて女子王座決定戦(現・レディースチャンピオン)を制して、3回目の優秀女子選手に選ばれた。

渡辺千草77回目の優出で悲願

この年は、SGやGIだけでなく、一般戦においても話題になった優勝がある。それが6月17日の三国オール女子戦で、2号艇だった渡辺千草が差し抜けて史上最多となる77回目の優出での初優勝だった。足立保孝の76回目という記録を破る、デビューから22年8か月目の道のりだった。この記録もまた、現在も破られていない。

ボートピア梅田がオープン

場外発売場「ボートピア」(現在は「ボートレースチケットショップ」と改称 /「BTS」とも略す)が盛んに作られたのもこの頃だ。
その中でも屈指の規模を誇る「ボートピア梅田」がオープンしたのはこの年。一時は住之江や尼崎本場の売れ行きにも影響した、と言われるほどの売れ行きを記録したものである。
また、九州を中心に、窓口数のそれほど多くない「ミニボートピア」が続々とオープンしていった。こちらは大都市における大型施設とは異なり、地方の小都市や国道沿いに数多く設置され、地道にファンを増やしていくのに効果があったように思う。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。