2004年(平成16年)42歳の今村豊が涙のSG制覇・艇界史上初の生涯獲得賞金が20億円を突破!
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史上初の20億円を突破
今村豊といえば、デビュー直後から全速ターンでボートレースに革命を起こした選手。80年代から90年代初め、年齢にして20代から30代初めにかけて艇界を席巻した。その勢いに少々陰りが見えたのが30代後半から。勝率は変わらず高くGIでは優勝を挙げていたが、SGでの活躍が減っていた。その今村が、42歳を迎えたこの年、大復活を遂げた。福岡・総理大臣杯(現在の「クラシック」)で、2艇Fの恵まれながら11年7か月ぶりに涙のSG制覇。この優勝で艇界史上初となる生涯獲得賞金20億円を突破し、その後も勝ちまくって5月には史上最速で年間獲得賞金が1億円に到達。住之江・賞金王決定戦(現在の「グランプリ」)制覇はならなかったが、おなじみの「最高勝率」に「最多賞金獲得」のタイトルも加えて、「最優秀選手」に輝いた。
【当時の写真5枚】今村豊 / SG総理大臣杯・涙の記者会見など
田村隆信が4000番台初のSG制覇
ベテランの域に入ってきた今村豊復活の一方で、大きな注目を集めたのが85期・田村隆信の勝負強さだ。田村は本栖研修所(現在の「ボートレーサー養成所」)時代からケタ桁違いの強さを発揮し、デビュー後も順当に2001年の「最優秀新人」を受賞し、02年には早くもSG優出、03年に新鋭王座(現在の「ヤングダービー」)を獲得。そして04年の夏、若松・オーシャンカップで4コースから豪快にまくってSG初制覇。これが登録4000番台初のSG制覇でもあった。田村はさらに児島・競艇王チャレンジカップ(現在の「チャレンジカップ」)でも、混戦に乗じた差しを決めて優勝。早くもSG2勝目をマークした。
田中信一郎が3度目のGP制覇
他のSGでは、尼崎・笹川賞(現在の「オールスター」)は上瀧和則がインから逃げて優勝。浜名湖・グランドチャンピオンは原田幸哉が制し、蒲郡でのモーターボート記念(現在の「メモリアル」)は今垣光太郎が優勝し、2度目のナイターSG制覇。その強さから『ナイターキング』と呼ばれた。福岡・全日本選手権(現在の「ダービー」)は、田頭実→植木通彦の福岡ワンツーで決着。そして迎えた賞金王決定戦。"セミファイナル"のシリーズ戦では太田和美が優勝。続く大一番では、太田とは同県同期で登番ひとつ違いの田中信一郎が勝負強さを発揮した。レースは上瀧がトップスタートからまくるも、2周1マークで田中が見事な差し切り。大外で人気薄だったこともあって3連単5万1870円のGP最高配当を提供、さらに歴代トップに並ぶGPV3をマークした。
1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。