寺田千恵
寺田千恵

2001年(平成13年)寺田千恵が女子初のSG優出、市川哲也がSGでパーフェクトV、養成所が移転

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養成所が本栖湖から福岡県柳川市に移転

21世紀を迎えて、ボート界でも大きなニュースが続いた。
まず3月10日に、新たな選手養成所の竣工式が行われた。長らく選手を育成してきた本栖研修所の水位が低くなり、数年は各地のレース場で訓練を行う状況となっており、新たな訓練所の建設が求められていた。
いくつかの候補地のうち、福岡県柳川市の現在地が選ばれて「やまと競艇学校」として開校。後に「やまと学校」~「ボートレーサー養成所」と改称されて現在に至っている。88・89期生の一部訓練と、90期生からは1年間の養成を当地で行うことになった。

市川哲也がSGでパーフェクトV達成

SG戦線も、新たな顔ぶれが並んで大いに沸いた。まず総理大臣杯(尼崎・現「クラシック」)では、"ハイテクモンキー"と称された烏野賢太が初戴冠。尼崎オーシャンカップでは差しの名手・石田政吾が十八番の差し切り、全日本選手権(常滑・現「ダービー」)では滝沢芳行がまくって初V。この時バック側に掲げられた「がんばってるパパが大好き。りょう、おりね、ママより」という家族からの横断幕が大きな話題を集めた。ちなみに崚、織寧は現在ボートレーサーになっている。そして賞金王決定戦(住之江・現「グランプリ」)では、この年のSGで4優出していた田中信一郎が遂に優勝に届いた。
しかしながら、インパクトという点で最高だったのは、多摩川MB記念(現「メモリアル」)での市川哲也だったろう。予選からピンラッシュ。優勝戦では3号艇ながら5カドを選択し、豪快にまくって完全優勝を達成!これ以来、SGの完全優勝は20年以上出現していない。

女子選手の躍進が目立った

もうひとつ大きな話題となったのが、唐津グランドチャンピオンでの寺田千恵の優出だ。ボートレースが始まって49年、遂に女子選手のSG優出を見た。1号艇で厳しい進入となったが、インは取り切った。5着に敗れたが、女子選手に及ぼした影響は大きかった。
優秀選手表彰では大島聖子が最多勝利選手で表彰されている。同タイトルの女子受賞も初めてだった。そして、最優秀新人賞は田村隆信が受賞。本栖研修所時代からハイレベルと評判だった、85期「銀河系軍団」の進出が始まろうとしていた。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。