2000年代初頭のSGを席巻した西島義則と市川哲也の広島2トップ
2000年代初頭のSGを席巻した西島義則と市川哲也の広島2トップ

2000年(平成12年)西島義則がグラチャン・オーシャン・MB記念とSG3連覇を達成 / ボートレースで3連単が発売開始!

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第1回競艇名人戦は大成功

"ミレニアム"と呼ばれた2000年は、実に話題が豊富な年となった。まず3月に丸亀で行われた女子王座決定戦(現在は「レディースチャンピオン」)が、この第13回からGIに昇格。さらに優勝者は、このレース直後の総理大臣杯(現在は「クラシック」)の出走権が与えられることになり、女子選手のSG参戦に大きな道が開かれた。ちなみに柳澤千春が優勝し、SG初切符を手にした。
続く4月には、競艇名人戦(現在は「マスターズチャンピオン」)が創設。第1回は住之江で行われ、開始当初の出場資格は50歳以上だった。ボートレースが何よりも好きだった漫才師・横山やすしのポスター、鳥羽一郎が歌うテーマソングも評判となり、開幕後は売り上げも上々。高山秀則がいきなり完全Vを飾り、大盛況で幕を閉じた。

西島義則がSG3連覇

SG戦線は広島軍団の独壇場となった。まず夏場に、西島義則が史上2人目のSG3連覇を成し遂げた。6月の下関グランドチャンピオンでは2号艇からインを奪取して逃げ切り。7月のオーシャンカップは地元・宮島での開催。先行する島川光男と植木通彦を2周1マークで、2艇一気に差し切った。そして3連覇がかかった若松MB記念(現在は「メモリアル」)では優出を果たすも6号艇。内への進入争いには参加せず5コースだったが、1マークはインの山室展弘がスタートで遅れ、センター勢がこぞって攻め合う形に。ポッカリと差し場が開く奇跡的な展開になり、西島が差しを決めて、野中和夫に次ぐ26年ぶりというSG3連覇を達成した。
一方、賞金王決定戦(平和島・現グランプリ)では、市川哲也が3コースからまくって快勝。最多賞金獲得選手に加え、最多勝利選手とのWタイトルに輝いた。なお、最優秀選手には西島が選ばれた。

10月に新舟券3種類が発売開始

そしてファンへの影響が絶大だったのが、10月13日初日の住之江開催から始まった3つの新投票法だ。「3着までを当てる」投票券は、全公営競技で初めてだった。新しく導入されたのは「3連単(三連勝単式)」「3連複(三連勝複式)」「拡連複(拡大二連勝複式)」の3種類。それまでは「単勝」「複勝」「2連単」「2連複」の4種類だったが、これで購入できる舟券は合計7種類となった。
ボートレースの投票は、出走選手が公営競技では最少の6人で、最も組合せの多い2連単でも30通り。ギャンブラーにとっては配当が安めなのがネックではあったが、3連単では120通りとなって高額配当の期待が広がった。現在では約95%ものシェアを占める3連単だが、発売当初は40%前後だった。住之江以降、02年春までに全国24場で導入された。

西島義則のSG3連覇競走成績

山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。