1999年(平成11年)今垣光太郎が年間SGV2、群雄割拠のSG戦線 / 山川美由紀が歴史を変えた混合GI優勝
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ダービーまでのSGは全て初制覇
20世紀も末に近づいた1999年(平成11年)は、97年と98年に続き、SG初制覇が相次いだ。まずクラシック(当時は「総理大臣杯」)を今垣光太郎が大外からまくり差し。その後ダービー(当時は「全日本選手権」)まで、濱村芳宏→大嶋一也→田頭実→山本浩次→山室展弘と6人連続で初優勝。チャレンジカップを今垣が制してストップ、最後のグランプリ(当時は「賞金王決定戦」)は松井繁が勝って締めたが、"群雄割拠"感は大いに高まった。同時期には今村豊や植木通彦も毎年勝率トップ争いをしていたし、濱野谷憲吾・岡本慎治らもGIを勝ちまくっていた。ちなみにこの年のSG8レースのうち、「逃げ」で決まったのは1レースだけ。イン1着率が20%台だったレース場もあり、現在から見ればまさに隔世の感がある。
山川美由紀が男女混合GIで優勝
女子レーサーの動きも活発になってきた。鵜飼菜穂子に次ぐ世代としてトップを占めるようになったのは、日高逸子・山川美由紀・谷川里江・寺田千恵・西村めぐみ(現在は本部めぐみ)ら。中でも山川は、この年2月の四国地区選で優勝。女子選手による男女混合GIの優勝は、ボートレース開始後間もない昭和32年の杉本明子(住之江1周年)以来、42年ぶりの快挙ということで大きなニュースとなった。また3月のレディースチャンピオン(当時は「女子王座決定戦」でグレードはGⅡ)では、若手の横西奏恵がF2を抱えながら大外から快勝。デビュー初優勝を大金星で飾った。
売り上げ下降が深刻に…
暗い話題にも触れておかなければならない。バブル崩壊以降の経済低迷の影響は大きく、ボートレースの売り上げは92年以降下降続き。そして北海道のボートピア釧路は閉鎖を余儀なくされた。立地に無理があったとはいえ、ボート業界でレース場や舟券発売所の売り上げ不振による閉鎖は初(半田競艇場は台風による施設倒壊が主原因)。業界に震撼を呼んだ。
全国24場キャラクターが誕生
売り上げ不振の一方で、新たな注目を浴びるアイテムが誕生した。それが24場のキャラクターだ。近年デザインがリニューアルされたりするものもあるが、ご当地キャラクターのブームにも乗って大人気となり、オリジナル商品が多数制作されてきた。そのなかでこの年の4月に誕生したのが蒲郡のトトまるだ。デザイナーの藤原まゆみさんが製作し、声優の野沢雅子さんが声をあてるなど、レース場側の気合いも伝わる。名前は一般公募1万929人の中から選出され、決定。レース場のキャラクターブームの火付け役になったと言われている。
1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。