1997年(平成9年)業界初のナイターレースが桐生で開催!

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ナイターレースが始まる

この年の最大のニュースを挙げるなら、何と言ってもナイターレースの開始だ。 記念すべき初開催は、9月20日からのボートレース桐生。大勢のファンが入場し、同時に電話投票での売り上げ拡大の期待も高まった。
公営競技では、既に地方競馬の大井競馬場でナイターが1986年(昭和61年)から始まっており、大成功を収めていた。ボートレースでも既に1984年(昭和59年)には浜名湖で実験が行われており、試行錯誤が繰り返されてきた。モーター音が周辺環境に及ぼす影響やハレーション(水面のまぶしさ)などが課題となっていたが、ようやく実現に至った。
同年中にはプロペラを使わないウォータージェットエンジンの実験も行われたが、こちらはまだ実現していない。またヘルメットがフルフェイス型に変わり、加えて選手持ちとなったことで個々のデザインが可能となった。

グレード制度の見直し

この年から、いくつかの特別競走が現在のグレードに改められた。
大きな変更点は、12月のグランプリシリーズ(当時は「賞金王シリーズ戦」)がGIからSGに昇格した。また4月以降、それまでGⅡだったモーターボート大賞がGIへ(その後再びGⅡに戻る)。住之江で行わてきた高松宮記念も、第25回を迎えたこの年からGIに昇格している。

新たなSGウイナーが誕生

この年はSG初制覇が相次いだ。クラシック(当時は「総理大臣杯」)で西島義則、グランドチャンピオンで市川哲也、オーシャンカップは熊谷直樹が初V。そしてダービー(当時は「全日本選手権」)ではまだ23歳の山崎智也が差し切り、続く"新SG"グランプリシリーズは小畑実成が人気薄で快勝して、実に5人もの新たなSGウイナーが誕生した。その一方、メモリアル(当時は「モーターボート記念」)では大ベテラン・安岐真人が征して、現在まで残っているSG最年長優勝(52歳7か月)の記録を打ち立てた。

壮絶な1億円バトル

年末を締めるグランプリ(当時は「賞金王決定戦」)は、優勝賞金が1億円となって大いにヒートアップした。トライアルで失格が続出、6・3・5着だった西島が決定戦に乗れて、さらにラッキーなことに1号艇をゲット(当時は艇番を抽選)。しかし、何と6号艇の今村豊が前付けからインを奪取! 両者はやや深くなり、3コースの熊谷がまくって出た。だがその大混戦に断を下したのは、大外からまくり差しを敢行した服部幸男。これが見事に決まり、1億円を手にして最優秀選手にも輝いた。
山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。