植木通彦
植木通彦

1996年(平成8年)初の2億円ボートレーサー・植木通彦が誕生した瞬間

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第1回オーシャンカップは野中和夫が制覇

この年より7月20日が「海の日」として、国民の祝日となった。ボートレース業界としては、創設当初より海事思想の普及を進め、レースの有益性を広く周知させることが大きな目標でもあり、この「海の日」が祝日化は悲願でもあった。
なお、2003年からは7月の第3月曜日となっている。これを記念して行われた第1回オーシャンカップは住之江で開催され、野中和夫が2コースからインの植木通彦を直まくりで下し、SGコレクションに加えた。

松井繁・上瀧和則がSG初優勝

この年のSGは、前年以上に45歳以上のベテランと20代若手の対抗図式がクッキリ。オールスター(当時は「笹川賞」)で松井繁、ダービー(当時は「全日本選手権」)で上瀧和則が初のSG制覇を遂げている。30代選手はその間に挟まれて優勝者をひとりも出せなかった。

植木が公営競技界初の2億円選手に!

年末のグランプリ(当時は「賞金王決定戦」)では、45歳以上のベテランが5人優出するも、ただひとりの20代・植木が豪快な"つけまい"で快勝、連覇を飾った。その結果、植木は公営競技界初の獲得賞金2億円選手に輝いた。

モンキーターンが連載開始

漫画「モンキーターン」が週刊少年サンデーで連載開始(2005年まで)。この漫画が大人気を博し、これを読んでボートレースのファンになった人、あるいは選手を志した若者も多い。

なお、この年の選手表彰(第21回/翌年2月に開催)から、表彰制度が現在と同じ部門となった。
第20回まであった「最優秀選手」及び「最優秀新人選手」、「最高勝率選手」は据え置き。その一方で「最多優勝選手」がなくなり、「最多賞金獲得選手」、「最多勝利選手」、さらに「優秀女子選手」の各部門が新設された。その初の優秀女子選手には、山川美由紀が選ばれた。

一般戦の話題では、「初心者にわかりやすく」を主な目的として、全レース進入固定戦の導入が一部の場で進んだ。

山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。