植木通彦
植木通彦

1994年(平成6年)モンキーターン黎明期、当時のSG戦線を振り返る

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前年(1993年)のクラシック(当時は「総理大臣杯」)でモンキーターンの威力を見せつけたのが植木通彦。その影響は一気にボート界全体へと広がった。

1993年 SG第28回総理大臣杯(戸田) 優勝戦結果

レーサー登番年齢現住所体重タイムSTコース節間成績
11植木通彦328524福岡521.49.30.235131311
22清水克一219645福岡521.50.40.182131121
33今村豊299231山口491.52.00.176642131
45飯田加一267943東京541.52.30.341621332
54濱村芳宏329526徳島541.53.50.3843233222
66野中和夫229149大阪531.54.00.2731112112
天候風速5.0m
風向向い風波高2cm
決まり手2M差し優勝賞金¥30,000,000
2連勝単式1-2¥1,92011番人気

大森がクラシックV 重爆モンキー炸裂

この年、1994年最初のSGクラシックは、体重58㎏の重量級・大森健二が2コースからの豪快な直まくりで、インのテクニシャン・中道善博を沈めた。サイドの利いたモンキーならではのつけまいだった。なおボートレースの公式サイトでも、決まり手は「つけまい」で記録されている。

その後のSG戦線は、グランドチャンピオンで超伏兵・三角哲男の大外差しVという大番狂わせがあったが、オールスターは福永達夫、メモリアルは関忠志とベテラン優位に進んだ。

ベテランvs植木の真向勝負

そんな流れに若手で対抗したのが植木だ。コンスタントに賞金を重ねた後、ダービーを制して賞金トップに躍り出た。グランプリ(当時は「賞金王決定戦」)前には1億6000万円を超えて、「艇界初の2億円超えなるか!?」と注目された。

しかしながらグランプリの主役は、再びベテランの手に移る。1マークでは中道のまくりに乗って野中和夫が差し切るも、2マークで中道が差し返して優勝。"勝ち師"を自称し、「優勝戦は2着も6着も一緒」と言っていた野中は、SGで歴代最多の17回優勝を誇るが、2着は道中で逆転された2回しかない。このレースがそのうちの1回だが、2年前(92年)のグラチャンで『初の2着』を味あわせたのもこの中道。まさに稀代の業師と呼ぶべき存在だった。

それでも植木はここまでの貯金が大きく、この年の年間最多獲得賞金のタイトルを手にして、最優秀選手の栄誉を初めて手にした。 また新鋭世代で話題を呼んだのは三嶌誠司の大活躍。デビュー3年目で「最優秀新人」はもちろん、当時の表彰制度では設けられていた「最多優勝」も得て、タイトル二冠に輝いた。

山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。