1994年(平成6年)モンキーターン黎明期、当時のSG戦線を振り返る
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前年(1993年)のクラシック(当時は「総理大臣杯」)でモンキーターンの威力を見せつけたのが植木通彦。その影響は一気にボート界全体へと広がった。
着 | 枠 | レーサー | 登番 | 年齢 | 現住所 | 体重 | タイム | ST | コース | 節間成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 植木通彦 | 3285 | 24 | 福岡 | 52 | 1.49.3 | 0.23 | 5 | 131311 |
2 | 2 | 清水克一 | 2196 | 45 | 福岡 | 52 | 1.50.4 | 0.18 | 2 | 131121 |
3 | 3 | 今村豊 | 2992 | 31 | 山口 | 49 | 1.52.0 | 0.17 | 6 | 642131 |
4 | 5 | 飯田加一 | 2679 | 43 | 東京 | 54 | 1.52.3 | 0.34 | 1 | 621332 |
5 | 4 | 濱村芳宏 | 3295 | 26 | 徳島 | 54 | 1.53.5 | 0.38 | 4 | 3233222 |
6 | 6 | 野中和夫 | 2291 | 49 | 大阪 | 53 | 1.54.0 | 0.27 | 3 | 1112112 |
天候 | 晴 | 風速 | 5.0m |
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風向 | 向い風 | 波高 | 2cm |
決まり手 | 2M差し | 優勝賞金 | ¥30,000,000 |
2連勝単式 | 1-2 | ¥1,920 | 11番人気 |
大森がクラシックV 重爆モンキー炸裂
この年、1994年最初のSGクラシックは、体重58㎏の重量級・大森健二が2コースからの豪快な直まくりで、インのテクニシャン・中道善博を沈めた。サイドの利いたモンキーならではのつけまいだった。なおボートレースの公式サイトでも、決まり手は「つけまい」で記録されている。その後のSG戦線は、グランドチャンピオンで超伏兵・三角哲男の大外差しVという大番狂わせがあったが、オールスターは福永達夫、メモリアルは関忠志とベテラン優位に進んだ。
ベテランvs植木の真向勝負
そんな流れに若手で対抗したのが植木だ。コンスタントに賞金を重ねた後、ダービーを制して賞金トップに躍り出た。グランプリ(当時は「賞金王決定戦」)前には1億6000万円を超えて、「艇界初の2億円超えなるか!?」と注目された。しかしながらグランプリの主役は、再びベテランの手に移る。1マークでは中道のまくりに乗って野中和夫が差し切るも、2マークで中道が差し返して優勝。"勝ち師"を自称し、「優勝戦は2着も6着も一緒」と言っていた野中は、SGで歴代最多の17回優勝を誇るが、2着は道中で逆転された2回しかない。このレースがそのうちの1回だが、2年前(92年)のグラチャンで『初の2着』を味あわせたのもこの中道。まさに稀代の業師と呼ぶべき存在だった。
それでも植木はここまでの貯金が大きく、この年の年間最多獲得賞金のタイトルを手にして、最優秀選手の栄誉を初めて手にした。 また新鋭世代で話題を呼んだのは三嶌誠司の大活躍。デビュー3年目で「最優秀新人」はもちろん、当時の表彰制度では設けられていた「最多優勝」も得て、タイトル二冠に輝いた。
1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。