1993年(平成5年)本誌「マクール」創刊!!

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モンキーターンの威力

1991年(平成3年)から92年(平成4年)とボート業界は、バブル景気の最後の名残りで、史上最高の売り上げを記録した。その2年連続の最優秀選手で表彰されたのは、"モンスター"野中和夫だった。

それでも前年の92年(平成4年)平和島ダービー(当時は「全日本選手権」)では、服部幸男が史上最年少でSG制覇。そしてこの年93年(平成5年)3月の戸田クラシック(当時は「総理大臣杯」)では、植木通彦が鮮やかなモンキーターンで逆転優勝を遂げて、その威力を全選手に知らしめ、新たな時代を予感させた。

そんな中、7月に創刊を果たしたのが本誌「マクール」だ。周囲の状況としては、競馬やパチンコ雑誌がたくさん出ていて、「それならボートの専門誌があってもいいはず」と、乗り出したのである。当初はSGの開催に合わせた不定期刊だった。

表紙は、その当時からボートファンとして知らぬ人がいなかった漫画家の蛭子能収さん。巻頭インタビューは、6回目のオールスター(当時は「笹川賞」)を勝ったばかりの野中和夫。8月に福岡で開催される第39回メモリアル(当時は「MB記念」)の展望が巻頭の特集だった。

40代ベテランの大きな壁

そのメモリアルは福岡のベテラン・原田順一が2コース差し。続くダービーは再び戸田が舞台で、50歳目前の長嶺豊が涙のSG初V。当時のSG優勝最年長記録をマークした。長嶺は「植木にモンキーを教えてもらって優勝できた」と語っていたのが印象に残る。

そして年末の第8回グランプリ(当時は「賞金王決定戦」)は、野中が連覇で3回目の戴冠。2着に福永達夫、3着に安岐真人と40代後半のベテランたちだ。 ちなみに4~6着は新美恵一・荘林幸輝・占部彰二の中堅・若手たち。彼らはその後もSGタイトルには手が届かなかった。若手世代にとって、当時の40代戦士はとてつもなく大きな壁だった。

山本圭一

1957年横浜生まれ。物心ついたころからトランプなどでギャンブルに目覚め、20代では公営競技に没入。ボートレース歴も40年近い。初めて行った多摩川ではいきなり5連勝して「オレは天才だ!」と勘違い。 本誌マクールには創刊から携わり、昨年まで約15年編集長をつとめた。趣味の海外旅行でも各国のカジノなどを楽しむ。