蒲郡は癒しの故郷

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蒲郡は“第二の故郷”

筆者にとって、記者生活の半分以上を過ごしている丸亀が“故郷”なのは間違いないが、では第二の故郷はどこか?本来なら02年4月末に90期生とほぼ同じタイミングでボート記者デビューしたびわこなのだが、常駐したのは1年強。しかも、15年近く行けてないレース場を第二の故郷とは言いにくい。

自分の中では、思い出に残るレースと開催の多さで、蒲郡が第二の故郷と位置づけている。初めての蒲郡出張は03年のオーシャンカップだった。前年のモーターボート記念(当時)が全国初のナイターSGで、これが2回目。SG初優出を決めた辻栄蔵が、原田幸哉のまくりを差し切って初優勝を飾った。表彰式で開催直前に亡くなった師匠の芝岡春繁さんへ向けて行ったV報告は、忘れられない名シーンだ。

06年の51周年記念も取材の機会に恵まれた。優勝戦で2号艇の森高一真と4号艇の上瀧和則が激しくイン争い。0コース、いやバック側まで入ったのではないかというくらい壮絶なコース争いだった。しかも、本当のドラマはここからで、上瀧が回り直したことにより2コースになった新美恵一が先制したが、懸命に食らいついた正木聖賢が3周1マークで逆転の全速外マイ。GI初優勝を決めた。YouTubeで探せば、おそらく出てくるであろう名勝負だ。

まだファンの記憶に新しいのは15年のメモリアル。優勝戦は篠崎元志峰竜太の艇史に残る一騎打ちとなった。もうこの頃には丸亀担当だったが、当時は蒲郡でビッグレースがあるときは丸亀の開催がなかったので、取材の機会に恵まれたのだ。同じ理由で19年のレディースチャンピオンにも出張した。前年の最優秀新人に輝いたばかりの大山千広が頂点まで上り詰めたこの大会。予選道中からVオーラがずっと漂っていたので、強烈に印象に残っている。

金田拓朗

金田拓朗(かなだたくろう)。1974年生まれ、新潟市西蒲区出身。ボート担当となって20年。90期生が同期になる。ナイターになった09年から丸亀に常駐。競輪記者も兼務する。趣味は動物園、水族館が配信する生き物の動画鑑賞。ランニングマシン、エアロバイクから成長を見守る。将来のために放課後児童支援員、保育士の資格取得を目指す。