戸田

ボート史に残る伝説級のエンジンと言えば?/ボートレース戸田編(ボートレース24場クイズ・マクってQ!)

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マクール創刊30周年記念企画、ボートレース場にまつわるクイズを出題します!記念すべき第2回は「ボートレース戸田編」!

ボートレース戸田とは…幻の五輪となった1940年の東京オリンピックのために整備された戸田漕艇場の西端に位置するレース場。水面の横幅が107.5mと全国のボートレース場の中で最も狭く、まくりが決まりやすいという特性を持つ。96年にはグランプリを開催している。

問題1

グランプリを開催したことがあるのは全国24場のうち5場のみ。当地で開催された1996年の第11回大会を制したのは?
A 安岐真人
B 植木通彦
C 中道善博
D 古川文雄

問題2

2011年、東日本大震災の影響で当地で行われる予定だったクラシックが開催中止となった。この年の8月に代替開催として行われたレースの名称は?
A 東日本大震災被災地支援競走
B 被災地支援競走
C 東日本復興支援競走
D 震災復興支援競走

問題3

2013年まで「戸田グランプリ」として開催されていた当地の周年記念競走の現在の名称は?
A 戸田チャンピオンカップ
B 戸田プリムローズ
C 戸田大賞
D ウインビーカップ

問題4

1940年の五輪は開催権返上のため実現しなかったが、アジア初の開催となった東京五輪では当コースが五輪競技で使用された。その東京五輪が行われたのは何年?
A 1960年
B 1964年
C 1968年
D 2020年

問題5

全国一狭い水面ゆえに旋回の安全性を重視し、チルト角度には制限が設けられている。最大で何度まで使えるか?
A 0.5度
B 1度
C 1.5度
D 2.0度

問題6

2016年から翌17年にかけ、怪物エンジンと呼ばれたボート史に残る伝説級のエンジンと言えば何号機のこと?
A 22号機
B 33号機
C 44号機
D 55号機

解答1

グランプリを開催したことがあるのは全国24場のうち5場のみ。当地で開催された1996年の第11回大会を制したのは?

B 植木通彦

6号艇の安岐が2コースからまくるも、その上を4号艇4コースの植木が2段まくりで決めた。植木はこの優勝で公営競技初の年間獲得賞金2億円レーサーに!


解答2

2011年、東日本大震災の影響で当地で行われる予定だったクラシックが開催中止となった。この年の8月に代替開催として行われたレースの名称は?

C 東日本復興支援競走

重野哲之の優勝で終わった当レースの総売上の1割が復興支援のために寄付された。この年の4月から6月までの全ての競走には「東日本大震災被災地復興支援競走」というタイトルがつけられ、売り上げの一部は義援金となった。


解答3

2013年まで「戸田グランプリ」として開催されていた当地の周年記念競走の現在の名称は?

B 戸田プリムローズ

年末のグランプリとの混同を避けるために名称が変更された。プリムローズの和名はイチゲサクラソウ・イチゲコザクラ。戸田市の市の花がサクラソウなのでこの名称となった。


解答4

1940年の五輪は開催権返上のため実現しなかったが、アジア初の開催となった東京五輪では当コースが五輪競技で使用された。その東京五輪が行われたのは何年?

B 1964年

この開催を記念して隣接する通りには「オリンピック通り」という名前がつけられている。また、レース場の東側にある戸田公園内には聖火台が現在も残る。


解答5

全国一狭い水面ゆえに旋回の安全性を重視し、チルト角度には制限が設けられている。最大で何度まで使えるか?

A 0.5度

-0.5度から0.5度までの3段階と選択肢は全国一少ない。それでも+0.5度で伸びていくシーンを当地ではよく見かける。


解答6

2016年から翌17年にかけ、怪物エンジンと呼ばれたボート史に残る伝説級のエンジンと言えば何号機のこと?

C 44号機

14優出8優勝、勝率6.97という恐るべき数字を残した。