1951年
モーターボート競走法制定
ボートレース
ルール作りは手探りだったという。スタート方法についてはフライングスタート制にするのか、ピットからの係留同時スタートにするのか大論争だったという。
右タイトル
マクール
ルール作りは手探りだったという。スタート方法についてはフライングスタート制にするのか、ピットからの係留同時スタートにするのか大論争だったという。
1~10は欠番、登録番号11として鍋島弘選手が登録される。
大村で競艇が初開催された。史上初のレースでは30mの大フライングが発生。しかし「いきなりフライングでは興味を失うから」という審判長裁定で見逃しとなった。
若松競艇で第1回全日本選手権(現在のボートレースダービー)が開催された。
現在のボートレースメモリアルにあたる。
平和島競艇で開催された第11回全日本選手権で1日1億円の売上を達成した。
フライング・出遅れに対して即日帰郷という処置が与えられた。
選手養成期間が2ヶ月から5ヶ月に延長された。
現在のボートレースクラシック。鳳凰賞 => 総理大臣杯 => ボートレースクラシックと改名を重ねている。
フライング1本目30日、2本目60日、3本目90日の休みが与えられた。
選手養成期間が5ヶ月から1年に延長された。
現在のボートレースオールスターにあたる。全国地区対抗戦競走が廃止となり、その代わりとして新設された。
1975年度の売上が1兆1745億円を記録。各公営競技のなかで初めてトップの売上を達成した。
フライング・出遅れともに1本につき40日の休みに変更された。
下関で初の前売発売が実施された。
SGの準優・優勝戦で初の場外発売が実施された。
フライング・出遅れともに1本につき30日の休みに短縮された。
平和島競艇で初の電話投票が開始された。
尼崎競艇で展示タイム公表が実施された。
初の場外発売所「ボートピアまるがめ」がオープンした。
平和島競艇で選手の自主整備を中心とした新方式を導入。翌年1月までに全場で導入された。
現在のグランプリにあたる。住之江競艇で第1回賞金王決定戦が開催された。優勝者の彦坂郁雄は公営競技初の1億円レーサーとなった。
現在のレディースチャンピオンにあたる。
住之江、福岡、平和島で選手持ちプロペラ使用が試行された。
全てのレースにおいて、SG・G1・G2・G3・一般の5段階に分類するグレード制が導入された。
男子50kg、女子45kgを最低体重とする制度が開始された。
フライングが1本目30日、2本目60日、3本目90日の休みに延長された。出遅れは従来通り1本につき30日。
宮島競艇でスタート練習が廃止された。以後、全国の場でも展開された。
全てのレースの優勝戦周回数が4周から3周に変更された。
1991年度の売上が2兆2137億円。史上最高記録を更新した。
住之江競艇でFKS=フライング警報装置(スタート手前で早いタイミングだった時に警告音で選手に知らせる)が導入された。
平和島や浜名湖など数場で行われていた進入固定レースが全面的に導入された。
ヘルメットがフルフェイス型となり、選手の個人所有となった。
桐生競艇で初のナイターレースが開催された。
G2競走までが対象だった電話投票が全競艇場の全レースで可能となった。
フライングが1本目30日、2本目30日、3本目60日の休みに変更された。出遅れは従来通り1本につき30日。
現在のマスターズチャンピオンにあたる。
住之江競艇で公営競技初の3連単発売が開始された。
フライングが1本目40日、2本目60日、3本目90日の休みに変更された。出遅れは従来通り1本につき30日。
グランドチャンピオン決定戦で寺田千恵が女子選手初のSG優出(1号艇)を果たした。結果は5着。
iモード公式サイトとしてリリース。出走表、ニュース、イチオシ予想などのレース情報から、待受画像やえびすコラム、魔王決定戦などのコンテンツを提供。
1. イチオシ予想が本命・穴スタイルに
2. 本日の優勝戦リリース
3. 展望予想に出足伸び評価が追加
女子選手の最低体重が45kgから47kgに変更された。
フライングが1本目30日、2本目60日、3本目90日の休みに変更された。出遅れは従来通り1本につき30日。
A1・A2の最低出走回数が50走から70走へ。B1は40走から50走、2連対率15%以上から10%以上に引き下げ。定率数不足を回収するための措置が取られた。
全選手のあっせんを確認出来るようになり、お気に入り登録機能も追加された。
若手選手の育成を目的に24場からひとりずつ「地区スター」候補を指名し、あっせんを地元中心にする『地区スター制度』が発足した。
福岡で第一回マクールカップが開催。優勝者は丸岡正典。
ペラの厚みや重量等の基準が変更され、チルト3度が流行するきっかけとなった。
住之江でナイター開催がスタート。都市部のレース場では初めてのナイターで、防音塀の建設やエンジンの減音処理等が工夫された。
携帯マクールで笹川賞のファン投票が可能になった。
詳細出走表(モーター、ボート、節間成績)、払戻一覧、出走表検索、結果検索機能が追加。
平和島総理杯で全72Rのリプレイを配信。スリット手前から1Mまでの15秒動画。
各場の情報を提供するコンテンツが実装。第1号は桐生。
様々な記録を打ち立て「艇王」と呼ばれた植木通彦が39歳という若さで引退。本誌には1500通以上のメッセージが集まった。
docomo、softbankのみ提供。平和島、丸亀、児島、大村競艇場のLIVEがアプリで配信された。
一般戦を盛り上げるため、同タイプの選手や優勝未経験者などで集めたレースが大幅に増加した。
21歳未満であった年齢制限が15歳以上30歳未満に変更され、特別試験枠も設定された。
時間稼ぎ的進入の防止やコース判定の明確化を目的として待機行動規定が変更された。
各場から1人選出していた「地区スター」の制度を変更、「全国」「地区」「地元」「準地元」スター候補を選出する方式に変更され、更なる新人育成の強化に注力。
ああああ
若年層に好感を持ってもらう、国際社会でも通用するようにという目的から「競艇」から「ボートレース」に呼称変更された。
ボートレース芦屋でモーニングレースが開始、売り上げを大きく伸ばした。
2011年3月11日、東日本大震災が発生。20日間の自粛やナイターの休止、SGレースの変更などの影響が出た。
レース情報、エンジン情報、ニュース、イチオシ予想、ビッグレース情報などのコンテンツを提供。
dメニューに対応
持ちプロペラから貸出制に変更。イン勝率が上がり、まくりの決まり手が減少した。
購入した舟券を全国度の場でも払戻を受けられるようになった。
場外・電話投票の締切時間が本場締切の2分前に変更された。
女子賞金ベスト12による「賞金女王決定戦」の第1回大会が開催、初代覇者は三浦永理。
デザインリニューアル
賞金王決定戦を2ステージに変更、新鋭王座決定戦を廃してヤングダービーを新設、オールレディース競走の新設など大幅な変更が行われた。
賞金王決定戦がグランプリ、尼崎の全日本選手権がダービーなど、現在のカタカナを使用した通称に変更された。
様々な施策が功を奏し、ボートレースの売上が1兆円に回復、前年度から10.9%増加した。
2連単から3連単へ。
デジタルマクール閲覧機能のみを搭載した簡易版を提供開始。
その日に行われる全場全レースの出走表、結果、決まり手、配当がひとつのページで確認できるコンテンツ。気象情報の比較も可能。
スポニチとのコラボ企画。2017グランプリ、2017クイーンズクライマックスで実施。
モーニング5場、ナイター7場となり、2022現在の開催状況に。
新型コロナウイルスの流行により、各地で無観客でのレースが実施となった。
人身事故防止策の一環として不良航法の点数が7点から10点に変更された。
男子選手の最低体重が52kgに変更された。
BOATRACE殿堂が新設、厳しい基準をクリアして今村豊が第1号に認定された。
初のミッドナイトボートレースが開催、下関・大村・若松の3場で行われた。
スタート展示から得られる情報を全場一覧で表示。前付けレースや、突出した展示タイムがひと目でわかる!
2021年度の売上が2兆3926億2126万1100円(前年度比14.1%増)を記録、過去最高となった。
遠藤エミがボートレースクラシックで優勝、約70年のボートレース史上初の快挙を達成。