今村豊の思い出
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【今村豊】
全ボートファン、全ボートレーサーに衝撃を与えた今村豊さんの電撃引退。ここでは記者の個人的な思い出を語ってみたい(以降敬称略)。
記者は1981(昭和56)年生まれの39歳。今村はその年の5月7日に選手としてデビューし、すぐさま1着を取った。
今から25年ほど前、記者は高校生の頃から競艇選手を目指していた。当時通っていた学校の用務のおじさんと仲が良く、選手を目指していることを話すと「お前が今村豊の親戚とかだったら、選手になれるかもな」と冗談半分に言われたことを覚えている。当時、今村という選手の偉大さを知らなかったので、「へー、そうなんだぁ」くらいの感覚で受け取っていたが、今考えるとなるほどと思う。
あとで聞くと、そのおじさんは競艇のことはほとんど知らないけど、今村の名前くらいは知ってる、とのこと。一般の人にも認知されていたことは、さすが艇界の第一人者だ。
競艇に興味を持って初めて見た賞金王は97年の第12回賞金王決定戦(グランプリ)。この年、優勝賞金が1億円になり、優勝戦は61億1514万7500円を売り上げ、1レースあたりの艇界レコードを記録した。
その優勝戦、1号艇から西島義則、太田和美、植木通彦、熊谷直樹、服部幸男、今村豊。23年も前なのに、まったく懐かしさを感じさせないのは、ほとんどが現役だからだろう。
このレース、現代ならば枠なりオールスローか。しかし当時はスタート展示もない時代。本番の一発勝負、それもこの年最大のレースで、6号艇の今村が西島からインを奪ってみせた。これにはスタンドが揺れるほどの歓声、というより怒号が飛び交った。
競艇ファン1年生だった当時の記者には、なぜこんなに盛り上がっているかわからなかったが、後々その意味を理解すると、今村は「どえらいことをやったんだな」と改めて感心した。なお優勝したのは、大外まくり差しの服部幸男だった。
もうひとつ今村の印象的なレースは04年の福岡総理大臣杯(クラシック)。優勝戦1号艇から、今村豊、辻栄蔵、橋本久和、横澤剛治、今村暢孝、高橋勲。
今村豊は「これでは1Rも勝てない」と超弱気のコメントが出るほど機力は劣勢。しかも今村暢孝の前付けもあり、不安要素ばかり。
スタート展示の進入は12354カド6だったが、本番は15234カド6。スリットを通過して伸びてきたのが横澤。1マークは強引にまくって先頭へ。そのまくりに乗って差してきたのが高橋で、バックは両者の一騎打ちに。……と思いきや、横澤と高橋に悪夢のFコール。
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