艇界を動かした20人~その1

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【倉田栄一】

GWに突入したものの、ボートレースは無観客レースが続き、また「STAY HOME」が云々される中、早くも暇を持て余している人もいるのではないか?

そこで暇つぶしと言ってはなんだが、今回から何回かに渡り、過去、ボートレースに大きな足跡を残してきた名選手たちを紹介していこうと思う。今後の舟券に役立つような情報ではないものの、今のボートレースに間違いなく多大な影響を与えた「競艇時代」の名選手たちを知っておくのも悪くない。

ボートレースの歴史を振り返るときにはよく出てくる名前でもあるので、ベテランファンにはお馴染みかも。ただ、最近ボートレースを始めたばかりのビギナーなら初めて聞く名前ばかりだろう。

過去、5000名を超えるボートレーサーの中には、現在の峰竜太毒島誠らに勝るとも劣らない、人気や実力、そして個性を誇った選手たちがいたのだ。初回は、以下の3選手だ。

318 倉田 栄一(三重)

ボートレースが始まって間もなく、昭和30年代から40年代にかけて無敵を誇り、「競艇の神様」とまで呼ばれたのが倉田栄一だ。競艇創始期を支えた伝説の強豪といえる。今でいうSG格付けの特別レースが1年間に3つしかない時代、1960(昭和35)年から62年にかけて、2優勝を含む7節連続優出の大記録を残している。

当時はポピュラーだったランナバウトボートを使ったレースも大の得意で、モーターボート記念(MB記念・現在のメモリアル)は63年にランナ、64年にハイドロで優勝している。両ボートでSGを制覇したのは彼ひとりしかいない。

大ケガをしてからは記念に乗る機会が減ったが、その後も長らく勝ち星を重ねて、平成元年には艇界初の3000勝もマークした。引退後もファンに健在ぶりをよく見せていて、2001(平成13)年の第2回名人戦ではエキジビションで水面を走り、大きな喝采を浴びた。

1203 松尾 泰宏(佐賀)

競艇が始まって10年以上経った頃の状況は、発祥地・大村に近い九州地区の選手が圧倒的に強かった。中でも唐津の松尾泰宏は、同支部の瀬戸康孝と並んで全国のトップグループに君臨した。

松尾の残した足跡で特筆されるのは、何といっても唐津周年の優勝7回という記録だ。それも6周年に始まり、83年の29周年を46歳で制するまで実に23年の間、唐津の王者であったわけだ。その後、平成に入って50代を迎えてもA級で長らく活躍した。

さらにもうひとつ、弟の幸長の存在も大きい。こちらも超一流選手で71年に鳳凰賞(現クラシック)を制しており、史上ただひと組の兄弟SG制覇を成し遂げている。こちらは選手生活は短く、引退後に唐津の市会議員となって競艇のバックアップに努めたり、スポニチの評論家としても親しまれた。

その後、林(通・貢)兄弟が果たせなかった2組目の兄弟SG制覇は、篠崎(元志・仁志)兄弟に期待がかかる。

1515 彦坂 郁雄(千葉)

艇界の記録男である。現在でも破られていない記録を多数持っている。“史上最強”と評する関係者が多いのも当然だろう。出身は静岡だが、若手のうちに千葉へ引っ越し、支部も東京支部に移籍した。そこから快進撃が始まる。