松本勝也選手がレース中の事故で死亡

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【松本勝也選手】

昨日(2月9日)、GI近畿地区選手権が開催中の尼崎で選手の死亡事故が発生した。9Rの6号艇で出走した松本勝也選手は、1周2マークでバランスを崩し、失速。後続艇が避けきれず乗り上げてしまった。事故後、直ちに救急車で病院に搬送されたものの、16時12分に死亡が確認された。

レース開催中における死亡事故は、2013年11月の鈴木詔子選手以来(下関において試運転中の事故)、31人目。レース中では2010年5月の岩永高弘選手以来(若松において直線での事故)で、尼崎では04年3月の中島康孝選手以来の死亡事故となった。

この事故を受けて尼崎では、最終日(11日)の優出インタビューと表彰セレモニーの中止を決定。また明日まで、同場2マーク付近において献花台を設置すると発表した。

松本選手には本誌マクールのインタビューや取材で何度も登場していただいた。本誌初登場は、96年12月号「立川談春の俺と一緒に飲みに行こうぜ!」。01年に引退した平島信行さん、金子龍介明石正之とともに、翌年の新鋭王座決定戦(尼崎)を控える若手のリーダーとして登場。

最近のレーススタイルなどからは想像もつかないだろうが、デビューしてしばらくはとにかくフライングが多かった。

平島「松ちゃんはね、フライングばっかり。これ以上やったらクビになるところでしたわ」

談春「これ以上やったらクビになるって時の精神状態はどうだったんですか?」

松本「ハッキリ言ってね、アホやったんですよ。なんでもそうだったんですけど、まあもし期末にA級がかかってて、猛烈にやってもなれんかったとしたら、それは神様が『お前はまだ早い』って言ってると思って、次の期にまたがんばってたんですよ。それでF2になった時も、また切るんだったら、これは神様が『お前は選手を辞めろ』って言ってることだと思って。まあそれならしゃあないって気持ちだったです。だけどここで残ったら、オレは絶対スターだって」

デビューしたのは91年5月で、初1着は同年の12月(尼崎)。初優出は93年6月(平和島)で初優勝は同年の11月(丸亀)だった。初めてA級に昇格したのは94年後期で、96年前期にA1級になってからは、一度も落ちることなくその地位を守り抜いた。

心よりご冥福をお祈りいたします。