縁戚レーサーは浪人多し?

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原田雄次

125期のトップを切ってデビューした養成所チャンプ・定松勇樹のデビュー節はホロ苦となってしまったことは先日お伝えした。その後、昨日までに5人がデビュー、柴田光の娘・柴田愛梨が4着に入った以外は、いずれも6着に終わった。

総勢28人の125期は、昨年10月に養成所に入った際には51人だった。入所者の生き残り率はおよそ5割強程度だ。ただ、女子だけで見ると入所者8人に対して卒業できたのは6人。生き残り率は7割5分になるわけで、明らかに男子とは差がある。

これは何らかの“調整”があったとみるべきだろう。女子戦、ほぼ女子戦、男女W優勝戦など、女子が必要とされるレースが増えているのだから、それを補うだけの選手数が必要。多少、成績に難があっても選手として送り出す、という面もあったのではないか。

選手とすれば、在校中の成績はともあれ、デビューという関門に辿り着いたのだから、それ以降は自分次第。お荷物訓練生だったというレーサーが数年してから花開くこともよくあるだけに、大きな飛躍を期してほしいものだ。

ところで、レーサーになるための関門といえば、まず第一に養成所に入ること。125期の場合は、951名が応募していたという。合格の倍率はおよそ19倍。これだけの倍率だと、1回では受からず、何度も受験する人も多い。今回の125期28人の受験回数別の人数内訳は以下の通りだ。