大山博美が引退
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【大山博美】
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若手女子レーサーの中では飛ぶ鳥を落とす勢いの大山千広。19年前期は勝率6.79で初のA1級が決まっており、また同じくA1級に初昇格した宮之原輝紀との最優秀新人争いでも優出回数と獲得賞金で大きく上回って有利に立っている。
その大山千の母親、大山博美が引退した。日高逸子のブログによると以前から股関節の痛みに悩んでいたようで、今後手術を行う予定だという。選手生活も30年を超え、女子レーサーとしてはかなり長い選手生活だったが、娘のA1昇格を見届け、安心しての引退でもあったのだろうか。
大山博のデビューは1987年9月。5年目にはA級に昇格、08年ごろまでは時々B級となるものの、ほぼA級を維持し続けてきた。ここ10年は4点台のB級生活を送っていたが、股関節の悩みがなければもう少し長くA級を維持できたのかもしれない。
レーサーとしては優勝回数が少なかったことが心残りだったろうか。なにしろA級を長く維持して通算で56回も優出を果たしながら、優勝できたのはわずかに2回。娘の千広はすでに3回の優勝を果たしているので、勝負強さは娘の方がはるかに上といえそうだ。博美の優勝は地元九州のレース場ではなく、いずれも桐生の女子リーグだった。
母娘の直接対決は、初となった15年福岡のお盆対決をはじめ、過去3回。結果は大山博の2勝1敗。結果的には博美が母の意地を見せた数字?しかし最後の対戦となった16年若松のオールレディースでは、インの大山博を4コースの大山千がまくって1着。そしてこれが大山千のデビュー初勝利だった。大山博は「次は負けないわよ」と娘の初1着に嬉しそうだったが、その対決はもう見られなくなってしまったわけだ。
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