ボートレースアンバサダーに植木通彦氏

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【植木通彦】

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【植木通彦】-->

ボートレース振興会は、「ボートレースアンバサダー制度」を創設し、植木通彦さんを初代アンバサダーに任命したと発表した。

振興会は「ボートレースアンバサダー」という役割をこう説明している。

「ボートレースのイメージアップのため、お客さまとの橋渡し役としてボートレースの魅力をより多くの人々に発信する役割です。また当会では、ボートレーサーとして輝かしい実績を残したスターレーサーのセカンドキャリアに向けた取組みとしてその活動を支援いたします。」

植木さんといえば、現役時代は“艇王”の異名を持ち、ボート界の第一人者として活躍。93年に戸田総理大臣杯(クラシック)で、モンキーターンを駆使して逆転優勝。これがSG初Vで、この一戦で植木通彦の名前とモンキーターンの威力が一気に全国へ知れ渡ることとなった。

その年から97年まで、5年間毎年ひとつSGを優勝し、なかでも95年の賞金王決定戦(グランプリ)は、中道善博(元選手)との艇史に残るデッドヒートが今でもファンの間では語り草になっている。

96年に公営競技初の賞金2億円を突破。02年にはSG3勝し、歴代最高の賞金2億8418万4000円を獲得。この記録は今現在も破られてはいない。

07年の平和島総理杯優勝戦、1号艇の植木さんは+01のフライングに散る。その休み明けに平和島を走り、7月の鳴門一般戦を走ったところで突然の引退発表。当時39歳、現役生活は20年だった。

引退後は日本モーターボート競走会の理事職に就き、やまと学校(ボートレーサー養成所)の校長を経て、特命担当としてレース場等でのイベントを中心にボートの広報宣伝活動に尽力している。

ボートレースアンバサダーになっても、これまでと活動の内容は大きく変わらないものとみられるが、最も大きく変わるのは、植木さんも舟券が買えるようになったということ。これまではモーターボート競走会に所属していたため、基本的に予想行為はご法度。しかし所属が変わったため、今後は舟券も買えるし、予想もできる。艇王の予想は堅いのか、それとも穴狙いか。それだけでも大変興味深い。