ボートレース住之江

GI住之江周年、これだけ知っておけばプロフェッショナル

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住之江の水はどこから来た?

ボートレース住之江の前身は大阪府狭山市の狭山池です。「大阪競艇場」という名称でした。ここでボートレースをやっていましたが、干ばつで水が涸れたため、現在地の住之江に移転しました。ゴミの埋め立て地を掘削してプールを造りました。池ではないので水はありません。どうやって水を入れたかと言えば、大阪競艇場の2マーク側に流れる住吉川です。この川は大阪湾とつながっており、満潮時に河口から上がってきた海水を引き入れていました。大阪競艇場が住之江競艇場に名称を変えたのは1971年(昭和46年)です。

住之江の水は工業用水はホント?

自然湧水のないボートレース住之江は、水位を一定に保つために外部から水を補充しなければなりません。工業用水を使用しているのは間違いではありませんが、プールの水の大半は雨水です。スタンドの屋根に降った雨水がプールに入るようにしています。それで不足する分を工業用水で補っています。水位が一定になるように2マークのピットに排出口があります。下水は排出量によって料金が変わり、水道水よりも高いので、プールの水位の調整が求められます。担当者は工業用水をあまり使わず、下水の量を減らすために天気予報とにらめっこです。

2マークの引き波が起きる理由

住之江の2マークは難所だと言われています。スタートの時に起きた引き波が2マークあたりに残るからです。正確には対岸に当たって戻ってきた引き波がぶつかり合い波立つからです。長方形のプールはコンクリートの護岸によって囲われており、消波装置とコンクリート護岸の距離が短いのが住之江です。水面に対して直角の護岸のため波がストレートに戻って行きます。捨て石を消波装置の代わりにしているレース場や、周囲が円形のところは波が消えやすいと言われています。

住之江の水上施設で「住之江だけ」は何?

大時計の位置です。住之江の大時計は競走水面にせり出した構造です。他のレース場はスタンド側の陸地部分にあります。スタートのときに大時計に激突した選手がいたので、今は浮きを並べて激突しないような対策を講じています。

6コースの200m地点から大時計を見ると、その延長線上で1マークが見えていました。6コースからスタートを決めてまくるのを得意にしていたのが津田富士男さんです。絞りまくりで一気に決着をつける走りでした。

FKSとSKFとは

1995年にスタート事故を減らすためにボートに装着された「フライング警報装置」です。住之江はNEC(日本電気)が開発したFKSを使用しました。尼崎は「スタート感知システム」のSKSをボートに装着しました。開発を担当したのはSONYです。スタート事故は減ったものの、スタート時の減速でお客さんの失望が増えるという欠点がありました。メインテナンスも費用がかかることもあり、2003年に廃止されました。

住之江周年記念には名前が二つあった

住之江周年のタイトルは「太閤賞競走」です。パンフレットを見ると「太閤賞競走」になっていますが、以前は「太閤賞」と「太閤賞競走」が隔年で使用されていました。「競走」がついているか、いないかの違いです。なぜ、違っていたかは主催者が違っていたからです。住之江ボートには二つの施行者があります。一つは箕面市、もう一つは大阪府都市競艇組合です。2022年に大阪府都市ボートレース企業団へ組織名称を改称しています。

住之江周年は優出実績のあるモーターが活躍する

住之江のモーターは3月のルーキーシリーズから使用しています。初使用のシリーズでは常住蓮が65号機で優勝しました。成績は①④①①①①⑥準1優1です。2着は地元の竹間隆晟が乗った18号機です。住之江周年はモーターの初使用から3節目です。全モーターがすべて使用されています。新モーターは整備に制限があるため、初使用で優出したモーターは連続して優出する傾向があります。

桧村賢一

1947年福岡県生まれ。「競艇専門紙・ニュース」を経て、現在は「マンスリーBOAT RACE」のライターとして執筆活動のほか、レジャーチャンネルでのレース解説、BTS市原、岡部、岩間などで舟券塾を定期的に開催している。「舟券を獲る最強の教科書」(サンケイブック)「よくわかるボートレースのすべて」(サンケイブック)などボートレース著書多数。