親子レーサー、スポーツマインドの継承

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ロスに住むあの人が結婚を発表した翌日、お相手の懐妊を探る取材者はいなかった。下手に詮索して関係を損なうわけにはいかないし、芸能人ではないのだから当たり前かもしれないが、他ならぬ彼だからこそ、その子供に思いを巡らせる人は多いはず。しかも、その後に判明したお相手のプロフィールを考えると、桁外れの運動能力を持って生まれてくるに違いない。おそらく誰もが想像する。

政治家とか医者とか職人とか、親と同じ職業に就く人がいるけれども、スポーツは見る側のDNA信仰をより刺激する。生まれてもいない二世のことは夢想だが、メジャーリーグではこれまでに、およそ260組の親子プレーヤーがいたという。

ならばサッカーはどうだろう。ボール1個あればどこでもできる、どんな環境からでもスーパースターを生み出してきた。世界規模のスポーツらしく、あらゆるところから才能を拾い上げてきた。裾野が広すぎて親子プレーヤーが目立たない。むしろ卓球や体操といった日本人が得意なスポーツに、親子の伝承芸の雰囲気が漂う。著名な選手は環境に恵まれ、導かれてきたイメージだ。

そして身近にあるボートレースである。成功している親子レーサーが、親を超えた二世レーサーも多い。同じギャンブルを伴う競馬界は、武豊さん、福永祐一さん、横山典弘さん(ここは祖父も含めて三代)など、それ以上かもしれないが、競馬サークルという言葉がある。内輪で完結する力が強い。卓球や体操にダブって見えたりする。騎手志望の多くは乗馬経験者だ。

競馬に比べると、ボートレースは門戸が広い。特別なスポーツエリート、フィジカルエリートとして過ごしてこなくても、試験をクリアすれば(決して容易ではないだろうが)、誰もがアスリートになれるというものだ。数字で優劣が表され、危険も伴う職業だが、近頃の若者にとっては魅力的な選択となっている。

そんな中でこのところ、二世レーサーが増えてきている。133期までにざっと数えて100組近く(自分調べでは98組。少しの漏れや思い違いの心配はある)、その内の34組が122期以降に誕生している。

親の数はそれより少ない。きょうだいレーサーを持つ人がいるからだ。登番順に記すと勝元忠彦、浅見敏夫、上條信一、原田富士男、滝沢芳行、吉田徳夫、一色雅昭三嶌誠司の8名。中でも勝元さんは3人の子供が選手になって、年長の大森千恵さん(姓は結婚後)は、最初に親子レーサーになった人とされている。1970年2月の登録、いまから54年前のことである。