プレイバック1985 ビッグレースのアレの日々
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流行語大賞はあれになるのだろうか、いやアレに。いずれにしても11月のあの時は「アレのアレ」に変化し「38年前」がフォーカスされていた。1985年の阪神タイガースだ。
長くボートレースを見ていると、時々の事件や出来事が、ビッグレースに結びつくことがある。ダイアナ妃の事故は、モーターボート記念を開催していた若松の記者席で知った。横山やすしさんの葬儀は、新鋭王座開催中の下関だ。テレビの画面の中では、西川きよしさんの隣に野中和夫さんが座っていた。天才漫才師の諦めた夢がボートレーサーで、その夢を受け継いだのが幼馴染の野中さんだった。二人の関係の深さを改めて目にしたものだ。
そして1985年の日本シリーズである。この時は福岡の記者席にいた。西武の打者をピッチャーゴロに打ち取った優勝決定の瞬間をここで見たものと思っていたが、確認すれば盛り過ぎた記憶で、実際は11月2日のことだった。その3日前にダービーの優勝戦は行われていた。日本一と悲願達成が共通するキーワードだったか。
【第32回全日本選手権優勝戦】
①安岐真人(香川)4131132
②加藤峻二(埼玉)2413211
③野中和夫(大阪)2141131
④小林嗣政(山口)3331152
⑤紫垣順一(大阪)3142221
⑥彦坂郁雄(千葉)4131322
彦坂にとって12度目のダービー参戦にして、5度目の「初優勝」を懸けた戦いだった。艇王と呼ばれて久しい第一人者にして、見果てぬ夢の最高タイトルとなっていた。キャリアを考えると少ない参戦回数は、スタート事故が多かった反動だが、チャンスを活かせてこなかったのも事実。3年前の桐生大会はイン先行しながら「2マークで手が動かなくなって」痛恨のミスターン。意識を上回るプレッシャーの強さ、タイトルの重さを思い知らされた。
「神様がくれた6号艇です」
枠番抽選を終えての一言に、願いのようなものが感じ取れる。当時のイン取り有利枠を得て、しっかりそれに応えた。今度は本当に至って冷静だった。
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