メニエール病を乗り越えて迎えた栄光の時

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競馬人の福永祐一さんが、騎手を辞めて調教師に転身したが、古くを知る関係者ほど、彼の母を思いやりつつ、安堵の滲んだコメントをしていた。天才と称された父がレース中の事故で、騎手生命を断たれたことは痛ましい記憶だ。母の反対を押し切って同じ道を進んだ彼自身も、落馬事故で腎臓を一つ失くしている。安堵の気持ちが広がるのも分かる。

WBC直前に栗山英樹監督が大切にする『ノート』を基にしたテレビ番組があった。ノートにはプロ野球史に残る名監督・三原脩さんの言葉が綴られていた。「西鉄」や「近鉄」という球団名も懐かしく、面白く観られたが、本筋とは別にナレーションの一言が頭に引っ掛かった。栗山さんは「29歳の若さ」で「メニエール病」に罹って、引退を余儀なくされたという。メニエール病…ボートレースの周辺にいる人間には周知の病気である。

メニエール病といえば、今村豊さんが悩まされていたことで有名だが、ボートレーサーとてアスリートである。大抵の選手はなにがしかの痛いところを抱えている。それを飼い慣らして戦っている。

最近では唐突に映った前本泰和さんの引退が、実はヘルニアの持病を抱えていたと知った。古くは中道善博さんや植木通彦さんの引退劇が、センセーショナルに伝わったが、中道さんはその10年も前から「引退」の二文字を口にしていた。膝に腰に胃と痛いところばかりで、8個中6個のSGタイトルを、引退前の10年間に取っている事実が凄い。

植木さんの引退は、先立つ総理大臣杯優勝戦におけるフライングが、引き金だったのではないかと詮索されていた。しかし、記者会見で自らに定めた区切りの時だと知った。この人のモンキーターンが、唯一無二のフェニックスターンと呼ばれたのは、大怪我を乗り越えて一線に躍り出たからだが、その時から引き際を考えていたという。メンタルの続く限り…の到達点が、39歳の引退だったのだ。