ボートレース若松優勝選手
ポカリスエットカップ(平成28年12月3日)
熊谷直樹 2コース差しV
若松ボートの「ポカリスエットカップ」は3日に優勝戦が行われた。2コースから発進した2号艇の熊谷直樹(51歳=東京)が一番差し。イン先マイが流れた1号艇の黒井達矢の隙を逃さずバック直線で捕まえ、2マークを先取り。ここでリードを一気に広げて独走。通算78回目のVを飾った。マクリ屋の印象が強い熊谷。「選手人生で、2コース差しで優勝したのは初と思う」と言って少し笑った。
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サッカーJ1年間王者を決定するチャンピオンシップ決勝の第2戦で、リーグ戦年間3位の鹿島が、首位の浦和を2対1で破り、逆転で年間優勝を飾ったこの日。twitterのトレンドも鹿島関連のワードが上位に並び、話題となっていた。
同じ日の夜に行われた若松の優勝戦。
1号艇には若き実力派・黒井 。この男が人気を大きく背負った。ただ、レースは決して順当には決まらなかった。
ピット発走後、6号艇の原田富士男がスローへ動きを見せ、それに応じて、6コースに出されるのを避けたがっていた5号艇の渡邉英児も動き、スロー域に1、2、3、5、6の5人がなだれ込んだ。4号艇の岡村慶太だけは我関せずと、大きく助走距離を取って6コース単騎ダッシュ戦を選んだ。この岡村が優勝戦を作った。
5対1の隊形でスタート。大外の岡村が気迫のコンマ08トップS。ダッシュということもあって勢いも十分。内側を1艇2艇3艇と抑えてマクリにかかった。水面際の観衆から大きな声が上がっていた。
岡村は一気に全艇飲み込むかとも思われたが、インの黒井がやはり黙ってはいなかった。こちらもコンマ09スタートを切ってきていたのだ。岡村のマクリが届く前に、早急に1マークに艇を寄せて意地の先マイを打って出た。結果、岡村のマクリを許しはしなかった。ただ、黒井のインモンキーは懐を空けすぎていた。岡村を意識し過ぎたか。ここに、2コース・熊谷が1番差し。牙が食らいついた。熊谷も1マークは外から岡村に締められて、決して余裕のある状況ではなかったが、窮地の中で渾身の差しハンドルを繰り出していたのだ。
バック直線。黒井を捕まえて並走。内側に黒カポック、外側に白カポック。
注目の1周2マーク。先取りは熊谷。対して差しの構えを取っていた黒井だったが、内から突っ込んできた岡村と接触して大きくターンマークを外して無念の後退。ここで熊谷が単独先頭に立ってセーフティーリードを得て、勝負アリ。激戦の一戦を制したのだった。2着には原田で、ベテラン2人のワン・ツー決着となった。
レース後、ピットに戻ってきて原田と少し話して、嬉しそうに笑みを浮かべていた熊谷が印象的だった。通算では78回目のVとなった。
息をのむ激しい一戦だった。「4番にマクられながらで、決していい展開ではなかった」と熊谷。ただ「あの進入も1マークも予想した範囲の中でレースは出来た」と、さすがはベテランらしく、そう慌てることなく冷静なさばきを見せた。
普段はセンターからの攻撃的なマクリ勝ちが持ち味であり、その印象は強い。「選手人生で、2コース差しで優勝したのは初と思う。自分でも驚いてる」と言って、少し笑っていた。
優勝戦は満点をつけてもいい、と熊谷は言う。ただ、今節は心残りな部分もある。初日から2、2、2、1着とまとめ、2日目終了時点では予選1位の位置(得点率9.25)に、黒井と岡村と共に3人でピッタリと並んだが、3日目に熊谷は足踏み。その間に若武者2人と差がつき、結果、予選1位に黒井、同2位に岡村。2人を追走する同3位に熊谷となった。優勝戦は、予選3位が予選1位を捕まえ、倒したということになる。ではあるが、不完全燃焼だ。
「僕が1番上(予選1位)を狙ってましたよ。ただ、今節は彼ら(黒井・岡村)を超えれなかった。いいエンジンだったし、もっと1等を取りたかった」
帰り支度をして、タクシーに乗り込む前、静かにそう語った。悔しさが滲んでいた。優勝したからといってもその点は納得できないといった感じだった。さすが負けず嫌いで、ピン取り屋。50歳を超えてもなお、若手以上のような闘志と、悔しがる気持ちがある。
「次は予選からぶっちぎって、準優12R1号艇(予選1位の座)を取れるように頑張ります」。そう誓って帰路についた。
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(文:吉川)