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引退記者会見

本人による冒頭の挨拶

皆様、本日はコロナ禍の中、またお忙しい中、お集まりいただきまして、誠にありがとうございます。 施行者の皆様、並びに日本財団、ボートレース振興会、モーターボート競走会、選手会の皆様には、長い間本当にお世話になりました。ありがとうございました。 そしてマスコミ、報道関係の皆様には、長きに渡り取材やインタビューなどで大変お世話になり、ありがとうございました。 全国のファンの皆様には、長い間ご支持、ご声援頂き、ありがとうございました。皆様からのご声援が、走っている私にとって、どれだけ励ましになったか、計り知れないものがあります。この場をお借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。 今回、引退するきっかけとなりましたのは、最低体重制限が51キロになった時から、自分の体調管理をするにあたって、大変苦労してまいりました。そんな中、この度11月より、最低体重が52キロに変更されます。その52キロに対して、私は限界を感じまして、今期限りかな、というふうに考え、8月に行われました下関のボートレースメモリアルで、とは思いましたが、9月の末に徳山の記念レースのあっせんをいただきまして、この徳山で最後にしようと決めました。 デビューを徳山のレース場で迎え、引退をその徳山の記念レースでできたということは、本当に私は幸せ者だと思います。昭和56年にデビューいたしまして、本日までケガなくやってこれた。今振り返ってみますと、本当にいいボートレース人生だったと思います。 そんな中、特に印象に残っているのは、やはり初めて勝った平和島のダービーだったと思います。これはレースよりも、当時、笹川良一会長、橋本龍太郎運輸大臣に直接表彰していただいたことが、特に私の中では残っています。 今日、こうして引退をしましたけど、今は何か肩の荷が下りたような、ホッとしている自分がここにいます。これからはゆっくりのんびりと生きていきたいと思っています。 最後になりましたが、この私を育ててくれたこの素晴らしいボートレース業界に感謝しつつ、この業界がますます発展することを願って、私からの引退のコメントとさせていただきます。ありがとうございました。
引退記者会見
記者たちとの一問一答

ダービーに対するこだわりが非常に強いとデビュー当時から聞いていますが、初めてダービーを走ったのが10月7日、そして平和島を勝ったのが8日。今日はその日に合わせたという気持ちはあるのでしょうか。

それは全然ないです。

昨年、ダービーの連続出場が18年で途切れた。一番こだわりがあったSGに出場できなくなった気持ちは?

正直言いまして、最近は力も落ちていましたし、ダービーに出たいという気持ちはもちろんあるんですけど、出られなかったことに関してどうのこうのという気持ちは正直、ありません。

元選手でもある奥様に引退を伝えられたタイミング、同じく白井英治選手などお弟子さんに伝えられたタイミング、かけられた言葉は?

以前から自分が体重管理で苦労していまして、女房には薄々「体重が変わったらやめるかもな」という程度の話はしてたんですけど、正式に本当に辞めると言ったのはですね、最後の徳山の前検日の2日か3日くらい前だったと思うんですけど、その時に女房に「次の徳山で辞める」と言いました。そしたら女房は二つ返事で「はい」と。後は何も言いませんでした。

英治とかに言ったのは…、実は今回みたいにこのような大がかりな記者会見ていうのは正直考えていませんで、徳山のレースの予選が終わって5日目に発表しようかなと思っていました。最終日に発表すると優勝者が出ますし、水を差すような形になるので、5日目に発表して明日の最終日がラストランですというような形で十分かなと思っていまして、そのことをしようとしたら、急に新聞なんかに書かれたりすると驚くだろうなと思って、4日目に宿舎で、白井英治と寺田祥と同じ部屋だったんですけど、「ちょっと話がある」と2人を呼んで、「実は今節がラストランだ」ということを伝えました。

そしたら白井英治は急に「聞いてない、聞いてない!」と言って、自分の部屋に飛び込んでいきましたけどね。と、まあそういういきさつがありました。

徳山のラストランは5着でレーサー人生の幕を下ろしましたが、レース直後の率直な気持ちは?

正直、言いまして、レースにはならないだろうなと思っていました。とにかく正常にスタートして正常にゴールする、このことしか考えていませんでした。ファンの皆様には申し訳ないんですけど、自分の中では着順度外視というか、ちゃんとゴールする姿だけは残したいというふうに思っていました。

でもちょっと余談なんですが、先ほども言いましたが、引退を下関のメモリアルかなと考えるようになって、今までは恐怖心はそんなにないんですけど、いまさらケガをしたらという部分がすごく出てきだして、なかなかレースにならないなというのは正直、思いました。
引退記者会見

徳山でデビューして徳山で引退。山口県民のファンの方にひと言

全国のファンの方、ボートレースファンの方、すごく温かく見守ってくれています。そんな中で地元の山口県の方は特に声をかけてくれますし、本当にありがたいなと。地元で歩いたりしていても背中を押してくれているんだなというのも実感しています。そのおかげでここまでやってこれたというのもあります。本当にファンあっての今村豊だなと思います。

長い現役生活で、今村選手が貫き通したことは?

結果的に貫き通せたかはわかりませんけど、人にぶつかっていかないという自分のレース形態は、最後まで崩したつもりはありません。操縦ミスでぶつかることは多々ありましたけど、意識的に艇をぶつけるとか、勝つために手段を選ばずやってきたということはありません。それだけは39年間とちょっと、貫き通せたかなと思います。

現役生活で思い残したこと、やり残したことは?

やり残したことがあったら、たぶん辞めていないと思います。今は満足感でいっぱいです。

今後、業界への恩返しなど考えていることは?

特別何か職に就いて…、ということは正直、考えていません。ただ、お手伝いが必要な時に、お手伝い程度であれば、手伝っていければと思います。

これまでに引退を考えたことは?

42、43歳のころでしたかね、メニエ—ル病になってめまいが出ていた時に、やはり発作が起きてしまうとレースができないわけで欠場になっちゃうんですね。その回数が増すに従って、関係者の方にすごく迷惑をかけているという気持ちになって、その時に引退を考えたことがあります。でもなんとか踏みとどまって、もうちょっと頑張ろうと思ってやって、発作やめまいがしなくなって、ここまでできて本当に良かったなと思います。

未練はないとのことだが、唯一やり残したといえるのが賞金王。こだわりや心残りは?

もちろん賞金王は獲れたら獲りたかった。決して獲りたくなかったわけではありませんし、第1回から何回か続けて出ている中でチャンスはいくらでもあったと思います。獲りたかったんですけど、これも今村豊の人生かなというふうに思いますし、全て獲っていたら何もかも面白くなくなるじゃないですか。そんな中、白井英治が「代わりに獲る」と言っていますし、そのところは私の夢を英治につないだと思っていただければと思います。
引退記者会見

現在のボート業界に思うことは?

一番いい時代も知っていますし、今もすごく売上が上がっていい状態にあるので、バブルの時の売上をもっと超えていってほしいです。今、ネット会員さんや電話会員さんがすごく増えてきて、ボートレースを知らなかった方も知ってくださったと思いますし、ファンの皆様でボートレース界を盛り上げてくれれば、もっと素晴らしい世界になってくると思います。

今村豊にとってボートレースとは?

私の人生そのものです。高校を出てすぐ本栖に入って訓練を受けてデビューして、60歳にはなっていませんが59歳を過ぎまして、一般社会で言うところの、昔でいう定年退職の年齢を迎えているわけですから。ボートレースに始まってボート—レースに終わったと言っても過言じゃないと思います。

今後、どのようなボートレースをしてほしいか、未来のボートレースに思うことは?

未来のボートレースがどうなっているかはわかりませんけど、ファンの方が、「あっ、ボートレースは面白い」、舟券が当たった外れたじゃなくて、「ボートレースって本当に見てて面白いよね」というレースをしてほしいと思います。目の肥えたファンじゃなく、初めて見たファンでも面白いよね、見るだけでもいいよねと言って頂けるような、そういったレース形態になってほしいですよね。今はコロナ禍でお客さんに制限もありますけど、これが解けた時にぜひとも本場でレースを見てほしいと思います。私も選手をしていて、現場でもテレビでもレースを見ますけど、どちらが面白いかと言ったら、生で見るレースの方が私自身も面白いと思いますし、なるべくなら現場に来て、生のレースを見てほしいですね。

体重管理に苦労されたということですが、具体的には?

ボートレーサーになったのは、子どものころから体が小さくて体重が軽くて、それを見た父親が「選手になれ」と言って、それで選手になったわけですけど、一番減量した時で43キロまで落としたことがあります。でもその時は最低体重というものがなかったですし、練習して汗をかくじゃないですか?自然と体重が落ちてくれるし、ちょっと食べなかったらもっと落ちる。そんなに苦じゃなかったんですよ。

でも健康上の問題で最低体重というのが敷かれて、今までは45キロくらいで走っていたんですけど、上がったわけですよね。今度は太らないといけないという時に、食べたくないものを食べるというのは、まあまあつらいものがありまして。今走り終わりました、宿舎帰りました、すぐ食事という、マラソンして帰ったような状態ですぐ飯を食えと言われてもつらいものがあるんですよね。よほど腹が減っていたら別なんでしょうけど、嫌々ながら一生懸命食べて食べてというのを繰り返していると、やっぱり食べること自体が苦痛になってくる自分がいるんですよ。だから私自身は減量するよりも増量する方がキツいとずっと思っていました。
引退記者会見

ずっとA1級。長い間、ずっとトップでい続けられた理由は?

何なんでしょうかね。理由そのものは自分でもわからないんですけど、デビューした時からとにかく練習に励み、練習に始まり練習に終わってというくらい舟に乗っていましたし、その点だけは自負できるものがあります。当時の練習量に限っていえば、誰にも負けていないと自負しています。ペラを叩くよりも、乗って操縦技術をあげるのがまず先だと思っています。今も同じです。

39年の現役生活。今と昔で変わったことは?

何もかも変わっています。何が変わったというより全て変わったなと思います。ボートレースが3周、まあ優勝戦は4周というのがあったんですけど、ボートレースが3周というのは変わっていないです。昔はカウリングもありませんでしたし、ヘルメットもいわゆるドカベルという形でしたし、今は顔を隠してフルフェイスですし、変わっていないものがないというくらい変わっていますね。

その変化に対応してきた

対応してきたかどうかはちょっとわかりませんけど、そこそこは対応してきたつもりではいますけど、やっぱり年齢とともに対応できなくなりますね。難しくなってきます。

選手からのVTRコメント

瓜生正義

今村さん、40年間選手生活お疲れ様でした。僕は今村さんの選手としての考え方だったり姿勢をお手本にさせてもらっていました。本当にありがとうございました。また、僕が言うのも何ですが、今からまだまだ人生は長いでしょうから、第二の今村豊人生を楽しんで下さい。どうも本当にお世話になりました。

寺田祥

今村さん、40年間長い間、本当にお疲れ様でした。そして僕と走った20数年間、本当にありがとうございました。今までいろいろな事を助けていただきましたが、自分自身、今から助けてもらいたいこともたくさんあったのですけど、それも今村さんの引退でかなわないこととなりました。これからもプライベートでゴルフを一緒に楽しみたいと思いますので、ぜひゴルフの指導をよろしくお願いします。本当に長い間お疲れ様でした。

白井英治

師匠、40年間本当にお疲れ様でした。そして僕をここまで育ててくれてありがとうございました。本当に寂しいし悲しいですけど、これからは今村さんが唯一成しえなかった賞金王になることを最高の恩返しと思って、日々精進していきたいと思います。そして今村豊ファンの皆様、これからは家もものすごく近くですし、家に遊びに行ったりゴルフに行ったり、僕がそばで見守っていきますので、どうか安心してください。師匠、愛してます。
引退記者会見

3選手に対する今村選手の思い

瓜生選手でも私なんかを手本にしてくれたと言ってくれてありがたいですね。
また、山口県の2人は、本当によく成長してくれたなと思いますし、今からこのボート界を背負っていってくれるものだと、信じてやみません。今からも頑張ってほしいと思います。

引退記者会見

植木通彦氏のコメント

私にとっては、瓜生選手も言われていましたけど、お手本、目指す大先輩でした。その引退会見で花束を渡すという大役を務めさせていただきました。この花束にはですね、この場所に来られないたくさんの方の思いを、私なりにイメージしてお渡しさせていただきました。

今村豊選手の活躍は私が言うまでもありません。もうスーパースターです。私は1986年に第59期生としてボートレーサーになりました。その時はもう既にトップレーサーとして活躍されていました。私たち世代、第59期は今村選手を目指して日々、養成訓練に励んでいたことを思い出します。

そのような長きに渡りまして活躍されていた今村豊選手が今日引退ということで、ファンの皆様は納得される方、まだ走るのを見たいと思われる方など、さまざまな思いがあろうかと思います。しかし共通して言えることは、やはり新しい何か活動する姿を見たいという思いは、全ての、多くの皆さんの期待するところではないかと思います。私もそう思う一人でありますので、ぜひよろしくお願いしたいなあ、と思います。

(今村選手に)少し笑みが出て、少しホッとしたんですけど、最後になりますが、本当に減量の時代にいろんな制度の問題、すごい先輩の層の厚い中で立ち向かっていくすごさを、私も肌で感じておりました。そのような先輩が今日、レーサーということを終えるわけです。本当に長きに渡り、大変な好不調の中、素晴らしいレースを僕たちに見せてくれて、どうもありがとうございました。これからもどうぞ頑張ってください。簡単ですが、メッセージとさせていただきます。

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