7年前の戸田総理杯を振り返る

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本日(16日)から始まった戸田のSGボートレースクラシック。戸田では7年ぶりのSGだが、前回のことを憶えている人は、どのくらいいるだろうか。憶えているならボートのキャリアがそこそこ長い人だといえるだろう。そこで前回を振り返ってみよう。

SG第47回総理大臣杯

2012年3月15日~20日

戸田での総理杯は2年連続の開催だったが、2011年はご存知の通り、東日本大震災が発生した。3月13日から同月内の開催がすべて見送られ、その中に総理杯も含まれていた。代替として8月に「東日本復興支援競走」が行われ、重野哲之がSG初優勝を果たした。それから約半年後、「二年分の春 戸田から」というキャッチコピーで改めて開催された。

今回の地元は桐生順平中田竜太の二人だけとやや寂しい布陣だが、この時は中澤和志ひとりだけだった。

初日はオープニングレースで中里英夫が5コースまくりを決めると、まくりと差しのオンパレード。一日を通して逃げはわずか2本しか決まらなかった。この当時としても「SGで1号艇が2勝というのは、めったにないこと」と本誌のレポートに書かれている。2日目もバラエティに富んだレースが展開されたが、3日目、4日目と日を追うごとにインコースが徐々に幅を利かせてくるようになった。

その中で抜群の気配を誇ったのが吉田拡郎。2014年の丸亀オーシャンカップでSGタイトルを獲得するが、当時はまだSG優出もしたことがなかった。3日目終了時点での得点率はトップだったが、予選最終日に6着大敗し、予選順位は6位に後退。

予選トップは今垣光太郎で、2位は坪井康晴、3位は馬袋義則。準優勝戦もシリーズの流れを象徴するように波乱が起き、10Rでは馬袋が逃げ切ったが、11Rは坪井のインに白井英治の差しが届き、12Rでは今垣を吉田がツケマイで沈めた。

かくして出揃った優勝戦のメンバーは1号艇から、馬袋、白井、吉田、今垣、坪井、中島孝平。現代ボートでは基本的に1号艇に◎がつく。当時も今とそれほど変わらない流れではあったが、この時は違った。多くのスポーツ紙、専門紙が吉田に◎を打った。当サイトの予想でも吉田が◎、○が今垣、△が坪井で、馬袋は×という評価。それくらい吉田が異次元の伸びを誇っていたし、舞台が戸田であることもそれを後押しした。ファンの人気もそれを色濃く反映し、2連単の1番人気は3-4で8.9倍。2番人気は2-4で12.3倍。なんと1頭で軒並み10倍を超えるという今では考えられないオッズとなった。