~実況アナの穴目八目~

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昨日の夕方、友人から「オートレーサーの片平巧選手が亡くなった」という電話が入り、それからしばらく仕事に手がつかない状態で過ごしていました。実は、私が25歳でフリーのアナウンサーになってから4年間、ボートレースと共にオートレースの実況の仕事にも携わっていました。当時、「セア(エンジンの名称)の申し子」というキャッチフレーズで、オートレース業界の先陣に立ち、多くのファンの心をガッチリと掴んでいました。私も取材を通して、年が3歳しか違わなかったことから、色々とオートレースの奥の深さを丁寧に教えて頂いた選手でした。また、オートレースの仕事を辞める時も、「次の仕事場できっと成功するよ」って励ましてもらったことが、大きな心の支えにもなっていました。今は、ただ心よりご冥福をお祈りいたします(合掌)。

小林習之

1969年滋賀県大津市生まれ。千葉大学法経学部経済学科卒。1991年に三重テレビのアナウンサーとして入社。1年目に、津ボートレース展望番組「津ボートレースアワー(現・ボ〜っト見せちゃいます。津ぅ)」のMCを担当したのがボートレースとの出会い。1994年にフリーアナウンサーに。テレビ埼玉「レースダイジェストBACHプラザ(現・BACHプラザ)」総合司会やBOATRACE戸田の実況が本格的な公営競技アナウンサーのデビュー。ボートレースの師匠は、スポーツ報知若松担当の井上誠之記者(師弟関係は27年)。また、ボートレース以外はオートレース、高校スポーツ(野球・サッカー・ラグビー・春高バレー)、プロ野球、Jリーグ、海外サッカー(オランダ・ポルトガル)などの実況をこれまで担当。2019年1月、BOATRACE三国の正月開催「初夢賞」をもってレース場メイン担当のアナウンサーを引退。現在は、有限会社アップライトの経営者として後進の指導を中心にあたる。