日刊編集後記
2019/10/8
映画『ジョーカー』を観た。主人公アーサーは母親の介護をしながらコメディアンを目指している。彼には持病があってストレスにさらされると、発作的に笑ってしまう。病気に対する無理解、嘲笑、貧困、虐待など、アーサーがどのようにジョーカーになったのかその様を描いている。最初はアーサーに対して感情移入して、とにかく悲しい、悪行に走っても仕方ないよね、と思ったが、冷静になってみるとそれは許されるべきではない。どんなに不条理な目にあっても人を殺してはいけない。あたりまえのことがゆらぎそうになった。こういう感情は死刑制度についての議論のときにも感じた。悪いことをした人を国が殺すべきか否か。とても難しい。
思いやりの無さがジョーカーを生み出した、という話を読んだ。思いやりってなんだろう。子供の頃、相手の立場に立って考えなさいと教えられた。それが相手を思いやることだと。しかし、それは所詮自分の経験や価値観から相手を憶測しているにずぎなのではないだろうか。本当に思いやるというのは相手の話を聞くということ。話し合うということ。多分相手の話をきくことができない、そういう余裕のなさが思いやりのない社会を生み出しているのだろう。