日刊編集後記


2018/8/16

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昨日は終戦記念日だった。戦争の『語り部』たちはどんどん亡くなっていく。さらに“戦中派”の人たちの多くは、体験そのものが悲惨すぎてあまり語りたがらない。昨日見たニュース番組の中で、「父の遺品の中から戦争中の日記を見つけて初めてその体験したことを知った」と、我々と同世代の男性が語っていた。自分の父親も、死ぬまで戦争のことを一言も語ることはなかった。先日90歳になった母親が戦争中のことをポツリと語り出したのは、80歳を過ぎてからだ。二子玉川の軍需工場に駆り出された日、横浜が大空襲に遭った。横浜方面の空が真っ赤に染まり、「横浜方面は大空襲に遭っているので、今晩帰っても家族は亡くなっているものと覚悟するように」と工場の人に事務的に告げられ、泣きながら家に帰ったという。家は丸焼けになっていたが、家族は避難していたのが不幸中の幸いだった…。確かにこんな経験は、味わった本人としては静かに胸にしまっておきたい記憶なのかもしれない。最近は自然災害が多く、その被害は(十分であるかは別にして)よく報道されるが、戦争は人災であることを忘れてはならないと思う。

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from ヤマケイ

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