日刊編集後記
2016/2/1
自分が育った町は、横浜の相鉄線という私鉄の駅近くで、その駅の南口から歩いて5分程度の便がいい場所でした。ところが今になってみると、同駅近くの『銀座商店街』は、まさにシャッター商店街になってしまっています。その代わりに激増したのは医院と薬局。駅前から家までの間に、あきれるほどの数ができています。子供の頃には歩いて1分以内に、ソバ屋・中華料理屋・焼肉屋・パン屋などの外食店、レコード屋や花屋、洋服屋に靴屋とひしめいていたのに、今では駅までの間に、後継者のいた床屋とケーキ屋が1軒ずつ残っているだけ。一方で、自分が子供の頃は何もなかったその駅の北口側は、土地が余っていたので駅の目の前に大きなスーパーができ、またバスやタクシー乗り場、銀行、ファストフード店などは全てそちらにできて、町としての機能は完全に逆転してしまいました。建築の仕事をしていた父親は、地元の商店街のアーケードなども設計していましたが、もし今でも生きていたら、この状況を何と思うでしょうか…。実家に高齢の母親を訪ねる機会が増えて、日々そんなことを感じています。(ヤマケイ)